こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『ある閉ざされた雪の山荘で』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『ある閉ざされた雪の山荘で』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『ある閉ざされた雪の山荘で』が好きになると思いますよ♪
映画『ある閉ざされた雪の山荘で』のあらすじ
劇団に所属する役者7人に届いた、
4日間の合宿で行われる最終オーディションへの招待状。
新作舞台の主演を争う最終選考で彼らが“演じる”シナリオは、
【大雪で閉ざされた山荘】という架空のシチュエーションで起こる連続殺人事件。
出口のない密室で一人、また一人と消えていくメンバーたち。
果たしてこれは、フィクションか? それとも本当の連続殺人か?
彼らを待ち受ける衝撃の結末とは――
【起】
麻倉雅美が自身を下半身不随にした交通事故の原因となった人物たちを、雪に閉ざされた山荘に招待する場面から始まります。
招待されたのは、麻倉の運命に大きな影響を与えた7人の人物たちです。
彼らはそれぞれ異なる背景を持ち、麻倉と複雑な関係を持っています。
この謎めいた招待によって、物語は幕を開けます。
【承】
ペンションに到着した参加者たちは、次第に不穏な雰囲気に包まれます。
彼らの中には麻倉に対する罪悪感、嫉妬、恐れなど様々な感情が渦巻いています。一方で、麻倉は隠されたカメラや盗聴器を通じて、これらの出来事を冷静に観察しています。
参加者たちの間で繰り広げられる心理戦と、過去の秘密が次第に明らかになります。
観客は、各キャラクターの背後にある真実や動機を推測し始めます。
【転】
物語のクライマックスでは、麻倉の復讐計画の真相が明らかになります。
麻倉と本多が計画した「殺人事件」は、実はすべてが演技であり、実際の殺害は行われていませんでした。これは、麻倉が事故によって失ったものに対する象徴的な復讐であり、彼女の怒りと悲しみの表現でした。しかし、この演出が進むにつれて、参加者たちの間で本当の感情が露わになり、彼らはそれぞれ自身の罪や過ちと向き合うことになります。
【結】
最終的に、麻倉は自殺を図ろうとしますが、参加者たちによって止められます。
この事件を経て、彼女は再び舞台への道を歩むことを決意します。
久我は、一連の出来事を脚本として書き起こし、劇団「水滸」の新作として上演します。
映画は、希望と再生のメッセージを残し、終幕を迎えます。
観客は、物語の中で展開された「事件」と「劇」の境界について、最後まで考えさせられることになります。
著作の累計発行部数が1億部を突破した“国民的作家”の東野圭吾が1992年に発表した傑作小説がついに映画化されました。
発刊時からミステリーファンを唸らせ、長らく映像化は困難とされてきた架空の密室を舞台に描かれる多層トリックが見所であり、加えて豪華キャスト&スタッフが集結し、原作者の東野圭吾自身も「想像していなかった」と唸るほどの映画化がついに実現しました。
主人公・久我和幸を演じるのは、本作が映画単独初主演となる重岡大毅、山荘でのオーディションに招待された役者の中で唯一、異なる劇団から参加した“部外者”であり、更に原作とは異なるキャラクター性を持った久我を見事に演じています。
その他の登場人物たちには、日本を代表する若手実力派俳優が勢ぞろい、役を奪われた女優・中西貴子を 中条あやみ、こじらせ怪優・田所義雄を岡山天音、世間知らずのお嬢様女優・元村由梨江を西野七瀬、勝気なワガママ女優・笠原温子を堀田真由、優しい劇団リーダー・雨宮恭介を戸塚純貴、圧倒的天才女優・麻倉雅美を森川葵、そして、劇団のトップ俳優・本多雄一を間宮祥太朗が演じています。
監督を務めるのは、『ステップ』や『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』などヒット作を数多く手がけ、舞台演出でもその手腕を発揮している飯塚健、登場人物たちの心理と駆け引きを繊細なタッチで描き、徐々に緊迫感が高まっていく演出は圧巻であり、原作者の東野も「トリッキーな世界観を完璧に成立させている」と映画の完成度を高く評価しています。
当ブログでは、『ある閉ざされた雪の山荘で』の気になる謎を徹底考察・解説していますので、観賞後のヒントになれば嬉しいです。
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【ネタバレあり】映画『ある閉ざされた雪の山荘で』のネタバレ一覧
ネタバレ①:タイトルの意味
本作のタイトルである『ある閉ざされた雪の山荘で』には、”限られた閉鎖空間で行われる舞台オーディション”という意味があります。
そしてラストシーンでは、同じタイトルで舞台が繰り広げられています。
つまり舞台そのものを表しており、ひいては”人生そのものが演じられた舞台である”ということも意味しています。
果たして本当に殺人事件は発生したのか、それとも演技なのか、はたまたラストシーンの演劇まで含めて全ては演技なのか、など様々な考察をすることが可能な映画に仕上がっています。
ネタバレ②:映画と原作小説の違い
本作と原作小説には、いくつかの違いがあります。
【オーディション設定】
・映画→次回作の主役オーディション
・小説→オーディション通過後の舞台稽古
【なぜ山荘でなければならなかったのか】
・映画→特に描写なし
・小説→麻倉雅美の実家がある飛騨高山から近い
→叔父の小田伸一が経営しているペンションである
→隠しカメラや盗聴器、マジックミラーや隠れ場所が設置出来る
【雨宮京介と元村由梨江の関係性】
・映画→親しい先輩後輩
・小説→婚約している恋仲
【殺され方】
・映画→雨宮京介は、本多雄一と揉み合いの末に絞殺
・小説→雨宮京介は、本多雄一に睡眠薬を盛られた後に絞殺
【雨宮京介、笠原温子、元村由梨江の罪】
・映画→笠原温子が雨宮京介が怪我で運転を誤り、高速道路の中央分離帯に突っ込んだと嘘をつき、その結果としてショックを受けた麻倉雅美は交通事故に巻き込まれる
・小説→麻倉雅美のことを気にせず楽しんでいる3人に嫌気が差し、車のタイヤをパンクさせた、その報復として笠原温子が雨宮京介と元村由梨江が崖に落ちたと嘘をつき、麻倉雅美はショックを受けはスキーで滑走して自殺未遂
【久我和幸が真相に気づいたきっかけ】
・映画→アリバイを作った本多雄一が自分を疑った、中西貴子の「役者は嘘をつく」という発言
・小説→アリバイを作った本多雄一が何故かアリバイを隠そうとした、中西貴子の「今まで犯人だと思い込んでいた人が、そうじゃないとわかると、きっとすごいショックを受ける」という発言
【麻倉雅美の隠れた方法】
・映画→特に描写なし
・小説→麻倉雅美の叔父である小田伸一が準備
【殺された3人はどこにいたのか】
・映画→特に描写なし
・小説→近隣のペンションに移動していた
【ラストシーン】
・映画→本作の出来事をモデルとした舞台「ある閉ざされた雪の山荘で」に全員出演し、ハッピーエンド
・小説→久我和幸が泣いて終わり
もちろん細かい内容は異なるのですが、ラストシーンが大きく変更されていますね。
またなぜ山荘を舞台にしたのかも、原作小説だと詳細に描かれております。
ネタバレ③:三重構造、もしくは四重構造のストーリー
本作は三重構造になっていることがポイントです。
【一重構造】
・演出家である東郷陣平からのオーディション
→外部と連絡をとったり、敷地から出てしまうと不合格になる
【二重構造】
・麻倉雅美の計画
→自分の人生を台無しにした雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江を殺す
【三重構造】
・本多雄一の計画
→雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江を殺した演技をする
この三重構造が上手く掛け合わさり、本作を上質なサスペンスに仕上げています。
オーディションという一重構造があることにより、事件なのか演出なのかがわからなくなり、誰も外部に連絡や外出が出来なくなっています。
そして本当に殺人を犯す麻倉雅美の計画である二重構造により、実際に殺人を犯さなければならなくなりますが、同時に本多雄一の計画である三重構造が入り込んでくるため、なかなか混乱するストーリー構成に仕上がっているのです。
そして何より本作は、更に上の四重構造である可能性も考えられます。
というのも原作小説とは異なり、本作ではラストシーンに『ある閉ざされた雪の山荘で』の舞台が行われているんですよね。
しかも脚本は他ならぬ久我和幸であり、主演は車椅子に乗った麻倉雅美です。
最期に仲直りをしたとはいえ麻倉雅美は、雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江を殺したいほど憎んでいました。
そんな麻倉雅美が舞台の主役、そして演出家である東郷陣平が本作の出来事を舞台化するなんてあり得るのでしょうか?
しかし逆の発想で”本作の出来事も含めて全て演技であり、舞台上の出来事である”と考えると全ての辻褄が合うんですよね。
つまり三重構造の更に上に「全ては舞台上の演技である」という四重構造があるということです。
とはいえ四重構造は原作小説にはありませんでしたので、少しばかり考え過ぎかもしれません。
しかしながら、四重構造の可能性はゼロではないと考えられます。
ネタバレ④:久我和幸の視点
本作は2つの視点でストーリーが描かれています。
それが”久我和幸と麻倉雅美の視点”です。
久我和幸の視点では、事件の真相を暴く名探偵役として推理考察が描かれています。
しかし肝心の犯行現場を見ることは出来ないため、あくまで久我和幸の主観として描かれている点がポイントです。
これは対となる麻倉雅美の視点とは異なるものであり、2つの視点が掛け合わさることで本作の面白みを増しています。
ネタバレ⑤:神(麻倉雅美)の視点
麻倉雅美の視点は、神の視点(観客視点)で描かれています。
神の視点というのは、”天井から俯瞰する視点で物事を見たり、わかるはずのない自分以外の人間の内面や過去現在未来を見通せる視点”のことです。
私たち観客も同じような視点で映画を観ていますので、神の視点=観客視点となります。
本作の場合、登場人物の行動を天井から俯瞰する視点で見ている演出がありました。
これこそ神の視点そのものですね。
そして神の視点では、麻倉雅美が隠れている遊戯室が描かれていないのです。
ネタバレ⑥:事件の真相と犯人の正体
事件の真相は、”麻倉雅美と本多雄一による、雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江ら3人への復讐”です。
しかし復讐の方法は異なり、麻倉雅美が3人を殺そうとしていたのに対し、本多雄一は3人を演技で殺そうとしました。
麻倉雅美と本多雄一が3人への復讐と至った経緯は次のとおりです。
・麻倉雅美はオーディションに落ちたショックから実家に戻る
・オーディションに落ちた経緯は、笠原温子が演出家である東郷陣平と男女の仲になった、元村由梨江の実家が劇団に出資していたこと
・落ち込んで引退を決意した麻倉雅美の元に雨宮京介、笠原温子、元村由梨江が訪ねてくるが、口論になり喧嘩別れする
・笠原温子が麻倉雅美に対し、嫌がらせで「雨宮京介が事故を起こして死んでしまった」と嘘をつき、ショックを受けた麻倉雅美は交通事故に遭い下半身付随になる
・人生を台無しにされた麻倉雅美、そして麻倉雅美に惚れている本多雄一は3人への復讐を決意する
・3人を殺したい麻倉雅美だが、本多雄一は実際に殺すのではなく、殺す演技をする計画を立てる
また映画では描かれておりませんが、原作小説では麻倉雅美が雨宮京介に惚れている描写があり、そんな雨宮京介から「オーディションで演じたのがジュリエットではなく、マクベス夫人を演じたほうがいい」と言われ、その意見に笠原温子と元村由梨江が同調するという場面があります。
これは”麻倉雅美の容姿は元村由梨江に劣っており、雨宮京介の隣に立つ資格はない”ということを表しており、惚れている雨宮京介から言われたという屈辱感が麻倉雅美を自殺未遂に追いやるきっかけにもなりました。
ネタバレ⑦:雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江の罪
雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江ら3人の罪は、”落ち込んでいる麻倉雅美を無神経にも傷つけ、許されない嘘をついて麻倉雅美を下半身付随にし、人生を台無しにしたこと”です。
もちろん3人は麻倉雅美を傷つけるつもりはなく、本当に麻倉雅美を助けたかったはずです。
しかし本作中で田所義雄が「それは自己満だ!」と言っていたとおり、3人の自己満だったのかもしれません。
ネタバレ⑧:麻倉雅美の目的
麻倉雅美の目的は、”雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江ら3人を殺すこと”です。
しかし本当にそうだったのでしょうか?
本多雄一による事件の真相が明らかになり、裏切られたショックで麻倉雅美は自殺を図りましたが、その後3人のことを許しています。
もしかして麻倉雅美は、”本当は生きて、役者を続けたかった”のではないでしょうか?
その証拠に感動のラストシーンで、麻倉雅美は役者として復帰しております。
ネタバレ⑨:ラストシーン
本作のラストシーンは、”『ある閉ざされた雪の山荘で』を舞台化したシーン”で幕を閉じます。
実際に本作中で起こった出来事を久我和幸が脚本家し、東郷陣平の演出で舞台化しているんですよね。
もちろん麻倉雅美も出演しており、主役8人が揃っての舞台となっています。
まるで原作小説の続きとも言える感動のラストシーンですね。
映画『ある閉ざされた雪の山荘で』の感想
とても面白く、また三重構造が癖になるサスペンス映画です。
事前に原作小説を読んでおくと、世界観の詳細がわかるのでオススメです。
特に人間関係がかなり省略されていたので、勿体無いなと感じました。
例えば麻倉雅美の雨宮京介に対する恋心、雨宮京介と元村由梨江の関係性、元村由梨江を巡る久我和幸や田所義雄の攻防などですね。
原作小説だと久我和幸の元村由梨江に対する気持ちの描写がかなり綿密に描かれており、久我和幸に嫉妬する田所義雄の様子が面白かったのですが、映画ではあまり描かれていませんでしたね。
また舞台をなぜ山荘にしたのかも詳細は描かれておりませんでしたので、この辺も原作小説と比較すると世界観に入り込めない要因の1つになっていたと感じました。
しかしラストシーンは非常に良かったと思っています。
生きる希望を見出した麻倉雅美と仲間たちが一体となって舞台を作り上げる、しかも舞台のタイトルが『ある閉ざされた雪の山荘で』ですからね。
これは激アツですよ!
しかしそうなってくると、1つ疑問が浮かぶんですよね。
”果たして、どこまでが演技だったのか?”ということです。
もしかして麻倉雅美や本多雄一の殺意や狂気までもが演技だったので?と思わせるラストシーンに仕上がっているのです。
そうなってくると、一重構造であるオーディションという設定が真実味を増してくるんですよね。
果たして真相は何なのか?
それは誰にもわからないのかもしれません。
まとめ
非常に良く練られたサスペンス映画です。
俳優陣の演技も上手く、テンポも良いため気軽にサスペンスを楽しむことが出来ます。
原作小説とは細かい内容が変更されているので、もっと本作の世界観を知りたい人は原作小説も読んでみることをオススメします。
個人的にラストシーンは映画の方が好きですね。
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最後まで読んでくれてありがとうございました。