こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『コーダ あいのうた』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『コーダ あいのうた』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『コーダ あいのうた』が好きになると思いますよ♪
映画『コーダ あいのうた』のあらすじ
豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聞こえる。
陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。
新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。
すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。
だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。
悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。
・フランス映画『エール!』のハリウッドリメイク版
・大人と子供の狭間で揺れるルビーの心情
・歌声と無音、歌声と手話が織りなす映画体験
・ラストシーンの手話は泣ける
家族の中で唯一耳が聞こえる健常者であるルビーが、家族と将来の夢の狭間に迷いながらも未来を切り開いていく、といったストーリーです。
監督はシアン・へダー、彼女は『タルーラ 彼女たちの事情』で長編映画監督デビューを果たしています。
後ほど詳しく触れますが、本作はフランス映画『エール!』のハリウッドリメイク版です。
原作『エール!』もとても素晴らしい映画ですので、是非ご覧になってみてください。
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【ネタバレあり】映画『コーダ あいのうた』のネタバレ一覧
ネタバレ①:原作『エール!』との違い
出典:映画com
本作には原作となる映画が存在します。
2015年に公開されたフランス映画『エール!』です。
【あらすじ】
①フランスの田舎町で酪農を営むべリエ家は、長女のポーラを除いて耳が聞こえない聾唖者
②ある日、ポーラの歌声に可能性を感じたトマソン先生からパリの音楽学校へ進学することを勧められる
③夢に向かって歌と向き合うポーラだが、彼女の歌声を聞くことが出来ない家族は猛反対
④家族と将来の夢の狭間で揺れるポーラの選択とは?
こうやって見ると本作とストーリーが似ていますよね。
つまり本作は『エール!」のハリウッドリメイク版なのです。
原作が素晴らしすぎると、リメイク版って「微妙なんじゃないか?」と不安になってしまう気持ちもわかります。
しかし本作は原作『エール!』を超えた作品だと言っても過言ではないでしょう。
そんな本作と原作『エール!』の大きな違いは次のとおりです。
①家族の職業の違い
・『コーダ あいのうた』→漁業
・『エール!』→酪農
②家族構成の違い
・『コーダ あいのうた』→父親、母親、兄、主人公(ルビー)
・『エール!』→父親、母親、主人公(ポーラ)、弟
③年齢の違い
・『コーダ あいのうた』→ルビー(高校生)
・『エール!』→ポーラ(中学生)
④恋人との関係性の違い
・『コーダ あいのうた』→恋人マイルズと和解し、湖で親睦を深める
・『エール!』→恋人候補ガブリエルと終盤で和解するが、親睦を深める描写はない
⑤家族の危機の違い
・『コーダ あいのうた』→耳が聞こえないことを理由に漁業停止を命じられる
・『エール!』→特に仕事に支障は起きない
ざっとこんな感じでしょうか。
特に「①家族の職業の違い」が1番大きなポイントだと思います。
後ほど詳しく触れますが、本作では「海と湖」が重要な役割を果たしております。
それにより本作では主人公ルビーの心情、大人と子供の切替を上手く演出しておりますが『エール!』ではそのようなシーンが少ないです。
また湖があることにより恋人マイルズとの関係性も深くなり、よりルビーの成長が際立つようになっています。
とはいえ、どちらも最高に面白くて感動する映画です。
色々と違いはありますが、それぞれの作品の個性として捉えれば良いと思います。
ネタバレ②:タイトルの意味
本作のタイトルであるコーダ(CODA)ですが、どんな意味があるのでしょうか?
コーダ(CODA)の意味は、”Children of Deaf Adults”=耳の聞こえない両親(聾唖者)に育てられた子供”という意味です。
またコーダ(CODA)は音楽用語では、”楽曲の最後に曲全体を締めくくる「末尾」、「最後部」”という別の意味もあります。
本作の主人公であるルビーは、耳の聞こえない両親と兄と共に生活しています。
しかし本当に自分がやりたいこと、つまり音楽の道を見つけて旅立っていく、というストーリです。
つまり本作のタイトルであるコーダ(CODA)は、”ルビーの過去現在、そして未来を表現している”ということになります。
ネタバレ③:名言「君は17年しか生きていない」
ルビーに音楽の才能を見出し、音楽の道へと導いてくれる音楽教師のV先生。
厳しいながらもときに優しくルビーを導いてくれるV先生ですが、ルビーの度重なる遅刻、そして授業態度に激怒し、一時はルビーを突き放してしまいます。
というのも、ルビーは耳の聞こえない父親と兄を助ける通訳者として毎朝早朝から海に出て漁の手伝いをしております。
また漁師の権利と財産を守るため立ち上げられた漁業組合による新規事業にも通訳者として手伝いをしており、本当は真剣に音楽を学びたいのに単純に時間が足りないのです。
そのため遅刻もしてしまうし、授業中に居眠りしてしまうこともあるわけです。
家族を助ける通訳者として、ルビーは僅か17歳であるにもかかわらず大人の女性として生きていかざるを得ない状況なのです。
そんなルビーに向かってV先生は本作屈指の名言を残します。
その名言とは、”君は17年しか生きていない”です。
ルビーは耳の聞こえない家族と共に17年間生きてきました。
しかし家族唯一の耳が聞こえる健常者だったため、常に家族の通訳者として寄り添い生きていくしか道がなかったのです。
必然的にルビーは子供ではなく大人である必要性が求められます。
本来であれば17歳の子供として夢や希望を抱き、がむしゃらに前に進んでいきたいのに「家族を守らなければならない、助けなければならない」という大人の自分の考えがそれを邪魔をしてしまうのです。
子供でありたいのに大人である必要性を求められ苦しんでいるルビーに対して、V先生がかけてくれた言葉が”君は17年しか生きていない”なのです。
「17年しか生きていないのだから人生を知らない。恐れずにもっと前に進んでいい。夢や希望を持ってもいいんだよ」、と言ってくれているのだと思われます。
きっとV先生はかつての自分自身の姿にルビーの姿を重ねたのでしょう。
ネタバレ④:海と湖、それぞれが果たす役割
本作では海と湖が登場します。
どちらもルビーが登場しますが、海と湖がルビーに与える印象は大きく異なります。
【海】
・父親と兄と共に通訳者として漁をする場所であり生きていくための場所
・ルビーは通訳者として大人であることが求められる場所
・早朝から漁を行うため、学業や音楽に支障が出る場所
【湖】
・ルビーが無邪気な子供のままでいれる場所
・同級生マイルズと愛を育む青春の場所
・崖から飛び降りることにより、勇気を与えてくれる場所
簡単にまとめると、”海はルビーが大人になる場所、湖はルビーが子供に戻れる場所”って感じでしょうか。
ルビーは耳の聞こえない家族と暮らしているため、幼い頃より家族の通訳者として大人であることを求められてきました。
それはルビーにとって幸せな瞬間であると同時に、辛い瞬間でもあったはずです。
だって本来の子供らしさ、例えば勉強する・友達と遊ぶ・恋をする・夢に向けって突き進む、といった子供らしい人生を歩むことが出来なかったわけですから。
そんなルビーが唯一子供に戻れる場所、それが湖なのです。
ネタバレ⑤:音がある世界と音がない世界
本作では大きく2種類の人間に分けられます。
つまり”耳が聞こえる人間”と”耳が聞こえない人間”です。
耳が聞こえる=健常者、耳が聞こえない=聾唖者ともいえます。
そんな彼らの最大の違いは、”音がある世界に暮らしているかどうか”ということです。
耳が聞こえる健常者は、音がある世界に暮らしています。
耳が聞こえない聾唖者は、音がない世界に暮らしています。
つまり両者は”同じ場所で暮らしていながらも、「音」という概念においては全く異なる世界観で暮らしている”のです。
その世界観の狭間にいるのがルビーです。
ルビーは耳が聞こえる健常者でありながらも、耳が聞こえない両親(聾唖者)に育てられたコーダ(CODA)です。
そんなルビーが耳が聞こえない両親、特に父親にルビーの持つ歌声の素晴らしさを表現した名シーンがあります。
それがルビーが通う高校で開かれた合唱コンサートです。
多くの観客は耳が聞こえるので、ルビーの素晴らしい歌声を心地良い音として捉えることが出来ます。
しかしルビーの両親は耳が聞こえませんので、ルビーがどんな歌声であり、それが上手いのか下手なのかも判断することが出来ません。
しかしルビーの父親は、周囲の人々(健常者)がルビーの歌声に酔いしれ、心地良くリズムに乗ったり、歌声に感動して涙する姿を目にしました。
つまり”周囲の人々(健常者)の姿を通して、ルビーの持つ歌声の素晴らしさに気づいた”ということです。
出典:IMDb
そして衝撃的なのが合唱コンサートの途中で、音が聞こえない演出として無音状態で映像だけを流したことです。
この演出により”耳が聞こえる(健常者)、つまり音がある世界に暮らす人々が音がない世界を追体験出来る”ようになっています。
このシーンになったとき、心の底から魂が震えましたね!
これこそが映画体験の真骨頂だと確信しました!
私たち観客を音がない世界に連れて行ってくれるだけではなく、父親がルビーの歌声に気がつくきっかけにもなるなんて・・・まさに映画史に残る名シーンだと確信しています。
ネタバレ⑥:ルビーの選択と家族の選択
ルビーが持つ歌声の素晴らしさに気がついた家族ですが、残酷な現実が叩きつけられます。
今までルビーは家族の通訳者として役割を担ってきました。
それはルビーの居場所であると同時に、ルビーを縛りつける鎖でもあります。
その鎖は簡単に解くことが出来ないのです。
ルビーは街を出て音楽大学へ進学したい、しかしその選択は家族を見捨てることを意味しています。
一度は音楽の道を諦め、家族を共に生きる決心をしたルビー。
現実を叩きつけられ夢を諦めたルビーを後押ししたのは、他ならぬ家族でした。
家族はそれぞれの言葉でルビーを後押しします。
①父の言葉
・「あの子はベイビーじゃない。ずっと大人だ」
→いつまでもルビーを子供扱いする妻を諭した
②母の言葉
・「耳が聞こえない聾唖者として生まれることを望んだ」
→健常者であるルビーを育てる自信がなかったが、愛情を持ってルビーを育てた
③兄の言葉
・「家族のために犠牲になるな」
→兄としてのプライドを感じながらも、家族のために夢を諦めるルビーを諭した
特に兄の言葉が一番印象に残りました。
本来であれば兄である自分が家族を守り支えていかなければならない、でもその役割と負担を妹であるルビーが担っており、それが妹の夢の足枷になっていると日々感じていたのでしょう。
だからこそ「家族のために犠牲になるな」という言葉がより一層心に響いたのだと思います。
ネタバレ⑦:音楽と手話が融合した新しい世界
家族の後押しもあり、夢である音楽大学の試験会場に辿り着いたルビー。
しかし楽譜も衣装も何も用意しておらず、試験管からは冷笑とともに「アカペラで歌いなさい」と言われてしまう始末です。
そんなルビーの危機を救ったのは、恩師であるV先生でした。
V先生の伴奏もあり、どうにか試験を開始することが出来たルビー。
そんなルビーが選んだ曲は、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」です。
この曲が表現しているのは、”両側の立場から物事を見る”ということです。
歌詞の中に「Both Sides Now(今、両側の立場から)」というものがあります。
これは過ぎ去った青春時代、そして青春時代を振り返った現在をそれぞれ表現しております。
青春時代の若いときは、まるで世の中のことを何でも知っているかのように自己主張をします。
しかし青春時代が過ぎ去り、人生の経験を通じて視野が広がると青春時代とは異なる視点で物事を捉えることが出来るようになるのです。
どちらが良い悪いではなく、どちらの視点も大切である、だから「今、両側の立場から」なのです。
ルビーは家族唯一の耳が聞こえる健常者として幼い頃から大人であることが求められてきました、いや正しくは家族のために大人になるしかなかったのです。
しかし実際ルビーは17歳と幼く、本来であれば大人である必要はない年齢です。
大人であることを求められ続け、今の人生に諦めを感じかけた時に一筋の光を与えてくれたのが音楽です。
音楽を通じてルビーは新しい世界を開き、視野を広げることが出来たのです。
これほどまでにルビーの心情を表した曲はないかと思われます。
そして更に観客を感動させる要素があります。
ルビーは2階観客席にいる家族に向けって、歌いながら歌詞を手話で表現するのです。
ルビーの家族は耳が聞こえません、つまり音がない世界で暮らしています。
どんなにルビーが素晴らしい歌声を響かせても家族は聞くことすら出来ないのです。
しかし手話を通じて歌詞を伝えることで、想いを共感することは出来ます。
このシーンは音楽と手話を融合させた空間、つまり”音がある世界と音がない世界を融合させた新しい世界を創り上げた”のです。
ネタバレ⑧:最後の手話の意味
音楽大学に合格し、ついに地元を離れることになったルビー。
最後に家族と抱擁を交わすシーンに涙した人も多いのではないでしょうか?
そして家族と別れる際、ルビーが車から手を伸ばしあるポーズをとっていましたが、何の意味だったかわかったでしょうか?
ラストでルビーが表現した手話の意味は、”愛している”です。
ラストシーンで”愛している”の手話を映すこと以上に最高の演出ってないと思うんです。
どんなに遠く離れていても家族を”愛している”、過去・現在・未来を含めて自分の人生を”愛している”、そんな想いが込められた手話なのだと思います。
映画『コーダ あいのうた』の感想
耳の聞こえない両親に育てられたルビーの葛藤を描きつつ、同時に夢に向かって突き進むことの大切さを教えてくれる映画です。
原作『エール!』よりも主人公や家族、そして恋人の描写が詳細に描かれていると感じました。
特に家族構成を父親・母親・兄にしたことにより、兄レオの妹ルビーに対する苛立ちや愛情が観客に伝わりやすくなったと思われます。
また海=大人のルビー、湖=子供のルビーという使い分けをしています。
この描写により、まだ17歳でありながらも大人であることを求め続けられてきたルビー、恋人マイルズと青春を過ごす子供のルビーを表現することが可能になっています。
このあたりも原作『エール!』とは大きく異なる点だと思います。
そして何と言っても本作最大の見所はルビーの歌声です。
どこまでも響く美しい歌声は誰しも魅了することでしょう。
しかし耳が聞こえない両親には、その美しい歌声を届けることは出来ません。
それを1回目は無音状態による父親目線、2回目は手話を織り交ぜたルビー目線で歌声を表現しています。
この演出は原作『エール!』にもありましたが、改めて観て見るとやっぱり心に響くものがありますね。
特に音楽大学の試験でルビーが歌った、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」ほどルビーの心情を表した曲はないほどピッタリと当てはまっていました。
このシーンで既に緩んでいた涙腺が大決壊し、涙が滝のように流れてきますね。
まとめ
名作『エール!』のリメイク版ということで若干の不安もありましたが、個人的には本作のほうが好きになりました。
本作のほうが主人公の「大人にならなければいけないけど、まだ大人になりきるには幼すぎる」という難しい心情をわかりやすく表現してくれているんですよね。
そのあたりが『エール!』は少しわかりにくいかもしれません。
間違いなく2022年を代表する映画になることでしょう。
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最後まで読んでくれてありがとうございました。