こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『ボーはおそれている』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『ボーはおそれている』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『ボーはおそれている』が好きになると思いますよ♪
映画『ボーはおそれている』のあらすじ
日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。
出典:映画com
・溢れ出る狂気の才能!内臓の海を3時間泳げ!
・ボーの壮絶かつ転落人生を体験せよ
・考察要素がてんこ盛り
・ラストシーンは呆然とすること間違いなし!
「ミッドサマー」「ヘレディタリー 継承」の鬼才アリ・アスター監督と「ジョーカー」「ナポレオン」の名優ホアキン・フェニックスがタッグを組み、怪死した母のもとへ帰省しようとした男が奇想天外な旅に巻き込まれていく姿を描いたホラーコメディ映画です。
怪死したママの元に駆けつけるだけのはずだったボーの帰省が、<壮大な旅>に変貌していく様子を描いています。
「ママが怪死した」―突然の電話連絡で、茫然自失となったボーは、しばらく会ってなかった母に会いにいく決心しますが、その瞬間から現実か妄想か分からない壮大な旅に巻き込まれていくことになるー、といった内容です。
ママと過ごした美しい少年時代の思い出を描きながらも、突然「あなたの旅は果てしなく続く」、といった予言のような女性の不吉なメッセージが不穏に響きわたり、次から次へと現れる不思議な人々、予想もしなかった奇想天外な出来事、襲いくる危機、消えない不安など前代未聞の<オデッセイ(帰省)スリラー>に仕上がっています。
共演は「プロデューサーズ」のネイサン・レイン、「ブリッジ・オブ・スパイ」のエイミー・ライアン、「コロンバス」のパーカー・ポージー、「ドライビング・MISS・デイジー」のパティ・ルポーンです。
世界最狂の帰省の果ては祝福か、絶望か?
オスカー俳優ホアキン・フェニックスが現実か妄想か分からない壮大な旅に出る!!
当ブログでは、『ボーはおそれている』の気になる謎を徹底考察・解説していますので、観賞後のヒントになれば嬉しいです。
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【ネタバレあり】映画『ボーはおそれている』のネタバレ一覧
ネタバレ①:タイトルの意味
本作のタイトルは一風変わっております。
いったいボーは、何を恐れていたのでしょうか?
ボーが恐れていたのは、”自分の人生そのもの”です。
もちろん母親であるモナのことも恐れていますが、最も恐れていたのは人生だったと考えられます。
というのもボーは、”明らかに社会的弱者”なんですよね。
ボーの母親モナは、社会的に成功している経営者であり社会的強者と呼べる存在ですが、息子のボーは、独身・貧乏・童貞・中年・精神不安定であり、いわゆる社会的弱者と呼べる存在です。
本来であればボーもモナの跡を継いで会社の経営者になるような気がいたしますが、実際のところボーは会社を継いでおりません。
というのも冒頭シーンからもわかりますが、ボーは非常に優柔不断であり、典型的な指示待ち人間なんですよね。
またラストシーンで明らかになりますが、ボーは幼い頃から母親モナの言いなりであり、母親の会社の広告にも登場していました。
そして住んでいるマンションも、母親が手掛けている都市開発のマンションのようなんです。
加えてボーは働いている描写がないので、おそらくニートなのでしょう。
クレジットカードを所持していましたが、何故か使用出来なくなっており、クレジットカードは母親モナの名義であり、モナが意図的にクレジットカードを使用出来なくした、ということが考えられます。
つまり”ボーの人生は、母親モナによって完全にコントロールされている”ということです。
ボーはそんな自分の人生に嫌気が差しながらも、何も行動出来ない自分自身に嫌気が差し、そして同時に恐れているのです。
ネタバレ②:本作のテーマ
本作は、不安を抱えた男を描いたホラーコメディであり、同時に母と子の愛と喪失を描いています。
そんな本作のテーマは、”最後の審判”です。
最後の審判とは、「神が使者に対し、天国か地獄かに行く審判を下す」といった内容ですね。
もちろんボーが行き着く先は地獄であり、決して天国にはいけません。
天国に行けるのは、真摯に人生を生き抜いた誠実な人物だけです。
そう考えると、本作に登場する人物は大体が地獄行きな人生を過ごしているんですよね。
特にボーの母親であるモナなんて、真っ先に地獄へ落ちるでしょうね。
ネタバレ③:家族とは何か
本作は、家族が非常に重要な役割を担っています。
・モナとボーの家族
・ボーを車ではねたロジャーの家族
・ボーを迎え入れた森の孤児
・ボーの双子の弟と父親
そんな様々な家族が登場しますが、いったい家族とは何なのでしょうか?
冒頭でカウンセラーがボーに対し、「家族とは、死んでほしいと同時に死んでほしくない存在」と言っていました。
またアリ・アスター監督も家族のことを「わずらわしい存在」とインタビューで言っています。
つまり家族とは、”大切な存在であると同時に、わずらわしく消えてほしい存在”であることがわかります。
実際にボーが母親であるモナの葬儀に行く決心が着いたのは、モナの会社に初恋の人であるエレインがいたからなんですよね。
つまりボーは、”潜在的に母親ではなく、エレインに会いに行こうとしていた”ということがわかります。
ネタバレ④:ロジャー一家が表すもの
ボーを車ではねた罪悪感からなのか、献身的にボーの看病をするロジャー一家ですが、その逸脱した親切心にはどこか恐怖を感じさせます。
死んだ息子の戦友であるジーヴスのことを世話しているあたり、どこか親切心が過ぎてしまっているような雰囲気が漂っていますね。
そんなロジャー一家が表すものは、”親切心が生む狂気”です。
実際にロジャー一家の娘であるトニは、両親の愛と自分の部屋をボーに奪われたと感じており、最終的にはペンキを一気飲みして自殺してしまいました。
また精神を病んでいるジービスも、薬の力でロジャー一家に支配されているように見受けられます。
典型的なのが、”未来を映し出した録画映像”ですよね。
誰が録画していたかは明言されておりませんでしたが、おそらくボーの母親であるモナの仕業なんでしょうね。
ネタバレ⑤:森の孤児たちが表すもの
ボーが森の中で出会う演劇集団、森の孤児たちですが不思議な生活スタイルを行なっていました。
そんな森の孤児たちが表すものは、”人生の自由”です。
森の孤児たちの中には、妊娠している女性、ビジネスマン、放浪者など様々な人種が入り乱れております。
また次々と拠点を移動しており、去り際には演劇を行う、など自由気ままな人生を過ごしている集団です。
実際に行われた演劇も、1人の男が人生と家族を求めて旅に出かける演目でした。
どれもボー自身には持ち合わせていない要素であり、ボーとの対比をわかりやすくするために森の孤児たちを登場させたのだと考えられます。
そして気になるのが、ボーの父親と思われる謎の男性の正体ですよね。
ボーには、「生前、お父さんの世話をしていた」と言っていましたが、実際にボーの父親は生きていることがラストシーンで明らかになりますので、このセリフは嘘だということがわかります。
そのため謎の男性の正体は、”ボーが理想とする父親像である”ということが考えられます。
というのもボーは直前まで、父親が息子たちを探して旅に出かける演劇を見ており、ボー自身も演劇の中に入り込んでしまうほど世界観に没頭していました。
そのため死んだと聞かされていた父親が自分を迎えにきてくれた、と感じたのだと考えられます。
ネタバレ⑥:オオカミの家、アニメーション
本作で印象的だったアニメシーンですが、アリ・アスター監督は『オオカミの家』の監督であるクリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャの2人に依頼しております。
『オオカミの家』は、非常に独特的なアニメシーンが話題になったホラー映画ですので、アリ・アスター監督が惚れ込み、直接依頼をしたとのことです。
【ネタバレ】『オオカミの家』考察【モデルとなったカルト集団・オオカミとブタの正体】
この独特的なアニメシーンは、本作を象徴するシーンの1つとして挙げられます。
アリ・アスター監督が言うには、「予算が足りない部分はアニメにするため、絵コンテを元にオオカミの監督に依頼した、とのことです。
ネタバレ⑦:ジーヴスの正体
ボーをどこまでも追いかけてくるジーヴスの正体は、”ボーの人生における後悔”であると考えられます。
ボーは非常に優柔不断な性格であり、母親であるモナの言いなりとして人生を過ごした結果、独身・貧乏・童貞・中年・精神不安定という社会的弱者となってしまいました。
対してジーヴスは、ボーと同じ精神不安定という状態ながらも、屈強な肉体を持ち、周囲からも頼られ、どんな人生の壁も壊していく男らしさが感じられます。
またジーヴスは、目標(本作であれば、ボーの抹殺)に向けて、一度も諦めることなく突き進んでいきます。
いずれも優柔不断なボーが持ち合わせていないものです。
ネタバレ⑧:エレインは何故死んだのか?
エレインが死んでしまった理由は、”ボーとのセックスにより、エクスタシー(絶頂)を迎えてしまったから”です。
当初、ボーの父親や祖父、つまり男性側の祖先たちはセックスをして射精した瞬間に死亡する、と言われていました。
そのためボーは、エレインとのセックスを望むと同時に恐れていたんですね。
しかし事実は異なり、正しくは「セックスにより、エクスタシー(絶頂)を迎えた相手が死ぬ」という内容でした。
エクスタシー(絶頂)には、「快感が最高潮に達して、無我夢中の状態になる」という意味がありますが、それ以外にも「魂が肉体を離れて、宙を漂う」という意味もあります。
今回のエクスタシー(絶頂)の意味としては、明らかに後者であり、エレインは文字どおり魂が肉体を離れてしまったということです。
なぜボーにこのような能力があるのかは明言されませんでしたが、おそらくアリ・アスター監督は、ボーをとことん酷い目に遭遇させたかったのだと考えられます。
というのもボーは童貞であり、遂に想い人であるエレインと結ばれましたがエレインは死亡し、その過程を実の母親に目撃されているわけですからね・・・しかも汚れたベットのシーツまで取り替えられている始末です。
ネタバレ⑨:屋根裏の秘密
屋根裏の秘密は、かなり衝撃的でしたね。
モナの家の屋根裏には、”ボーの双子の弟、巨大なペニスの姿をした父親が監禁”されていました。
ボーが夢の中でモナに叱責され屋根裏に連れて行かれる少年の姿を見ていましたが、あの少年はボーの双子の弟だったわけなんですね。
そして気になるのが父親の正体ですよね?
父親の正体は、”性欲に支配された、だらしのない男性”だと考えられます。
きっと本来の姿は人間だと思われますが、ボーやモナの目には怪物の姿に見えたのでしょう。
また父親は、相手がエクスタシー(絶頂)を迎えると殺してしまう、という特性があります。
これはボーにも受け継がれており、実際にエクスタシー(絶頂)を迎えたエレインが硬直して死んでしまいましたよね。
しかしモナは死んでいないので、モナはエクスタシー(絶頂)を迎えていないということなのでしょう。
アリ・アスター監督曰く、「父親の正体については真剣に考える必要なし。ダメな父親として描いている。最後に馬鹿げたことをやりたかった。」とのことですので、モナにとってボーの父親は、男としても魅力的ではなかった、ということを描いているのです。
ネタバレ⑩:モナが死んだフリをした理由
モナが死んだフリをした理由は、”息子のボーに会いに来てもらうため”です。
実際に死んだのは長年勤めたメイドであり、しかもメイド自ら死ぬことを志願したとのことです。
モナはどうしてもボーに会いたかった、しかしボーは何かと理由をつけて会いに来てくれない・・・そうだ!自分が死ねば、葬儀という名目で会いに来てくれる、と考えたわけですね。
発想がイカれていますよね。
モナのボーに対する愛情は常軌を逸脱しており、狂気的な愛を感じさせます。
だからこそ自分の死を偽り、ボーを無理矢理にでも家に帰らせたわけですね。
ネタバレ⑪:少年時代の秘密
本作には重要な秘密があります。
というのも、少年時代のボーが豪華客船に乗っていると、背景にバスローブ着た巨大な男が映り込んでいるのです。
この巨大な男の正体が明かされることはありませんでしたが、正体は”ボーの父親”だと考えられます。
とはいえボーの父親が屋根裏に監禁されていることに変わりはありませんので、バスローブ着た巨大な男の姿は、ボーが記憶の中から呼び起こした潜在的な存在だと考えられます。
どんなに父親のことを忘れようとしても、その面影はどこまでも追いかけてきており、またボーも父親の遺伝子を継いでいる、ということを伝えたかったのでしょう。
ネタバレ⑫:ラストシーン
本作のラストシーンは、かなりメチャクチャです。
というのもボーが海上裁判所とも思える場所で、モナと弁護士コーエンから今までの行動について絶叫され、最終的には乗っていたボードが爆発して転覆、そしてボーは溺死してしまうのである。
このシーンは、”ボーの人生に対する最後の審判”だと考えられます。
ボーの人生は、優柔不断・責任転換で溢れており、ボーの弁護士らしき人物もあっという間に殺されてしまうほど弁護のしようがない、しょうもない人生でした。
そんなしょうもない人生を大勢の人物や母親の目の前で絶叫され、そして否定されることにより、ボーは自らが死ぬ運命であることを悟ります。
つまり”最後の審判により、ボーが恐れていた人生に終止符を打とうとしている”ということですね。
ボーが唯一頼りにしていた母親にも見捨てられ、絶望の淵に立たされたボーは、自分の人生に後悔を思い浮かべながら死んでしまいます。
映画『ボーはおそれている』の感想
アリ・アスター監督曰く、「3時間、内臓の海を泳ぎ回ってください」という言葉に負けないほどのストーリーであり、3時間ひたすら意味不明な映像を浴び続けることになります。
冒頭シーンが産まれてくる新生児ボーの視点から始まりますからね、この映画…マジでイカれてますよ。
前作「ヘレディタリー 継承」や「ミッドサマー」と比較するとホラー要素やグロ描写が薄く、がっつりホラーを期待していると肩透かしを食らってしまうかもしれません。
【ネタバレ】映画『ヘレディタリー/継承』感想と考察【ペイモンの正体と目的】
しかし映画の不快度、意味不明さは本作のほうが圧倒的に上ですね…まさに3時間も内臓の海を泳ぎ回る映画です。
その不快さは、冒頭でボーが生活してしている街からプンプンと漂ってきます。
治安という言葉が存在しないんじゃないかってくらいの街で暮らしているボーですが、ボー自身も妄想癖など精神に異常をきたしていることがカウンセラーとの面談からもわかります。
つまりこの冒頭シーンから、「全てはボーの妄想なのでは?」という伏線を忍ばせているんですよね。
実際に本作は、至る所に現実では起こり得ないことが多々起こっています。
例えばボーが森の中で出会った、森の孤児たちが繰り広げる演劇ですね。
現実とアニメーションが合わさった演出かつ、ボー自身が演劇の世界に入り込んでいました。
観客側としては頭の中が「?」な状態になりますし、ボー自身も「?」になっていましたよね。
しかも直後にジーヴスが乱入して大虐殺を起こしますからね、ストーリーの流れもあったもんじゃありません。
もちろんそれだけではなく、冒頭シーンから頭の中が「?」になる展開の連続でしたね。
ボーが暮らしていた街は、治安が崩壊し過ぎているため、現実なのか妄想なのかが既にわかりません。
ボーが浮浪者たちに家を乗っ取られてしまうシーンが、可哀想ながらも思わず笑ってしまいました。
あんなに悲惨かつ哀れな人生を過ごしている男がいるんですね。
まとめ
アリ・アスター監督が描く狂気の3時間を体験できる映画です。
考察要素は過去2作『ヘレディタリー』、『ミッドサマー』に比ではないほど多く、過去一難しい映画であると断言できます。
【ネタバレ】映画『ヘレディタリー/継承』感想と考察【ペイモンの正体と目的】
そのため万人向けではないのかもしれません。
しかしながら、これほど狂気に満ちた映画を体験できる機会は早々あるものではありません。
是非一度勇気を出して、内臓の海に飛び込んでみてはいかがでしょうか?
新しい発見があるかもしれませんよ?
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最後まで読んでくれてありがとうございました。