こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『怪物』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『怪物』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『怪物』が好きになると思いますよ♪
映画『怪物』のあらすじ
大きな湖のある郊外の町。
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。
それは、よくある子供同士のケンカに見えた。
しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、
大事になっていく。
そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した―。
・怪物の正体に愕然とする
・誰の視点かによって物語の見方がガラリと変わる作品
・誰が正しいのか、正義とは何か
・ラストシーンの切なさに胸が締めつけられる
『万引き家族』でカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドールに輝き、『ベイビー・ブローカー』で2022年・第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、エキュメニカル審査員賞も受賞した是枝裕和監督が、「今一番リスペクトしている」と語る脚本家の坂元裕二と初タッグを組んだ作品です。
【ネタバレ】『ベイビー・ブローカー』感想と考察【ラストシーンの意味を徹底解説!】
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坂元裕二は『花束みたいな恋をした』やTVドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」などで圧倒的な人気を博し、新作が待ち望まれる脚本家です。
また音楽は、『ラストエンペラー』や、『レヴェナント:蘇えりし者』など、海外でも第一線で活躍した坂本龍一が手掛けており、映画史上、最も心を躍らせ揺さぶる奇跡のコラボレーションが実現しています。
出演は、安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子ら変幻自在な演技で観る者を圧倒する実力派と、二人の少年を黒川想矢と柊木陽太が演じており、高畑充希、角田晃広、中村獅童など多彩な豪華キャストが集結している点にも注目です。
いったい「怪物」とは何か、登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに、私たちは何を見るのか、その結末に心揺さぶられる圧巻のヒューマンドラマです。
なお本作には、原作となる小説『怪物』もあり、原作を読んだほうがより登場人物の心情や世界観を深く理解することが出来るのでオススメです。
当ブログでは、『怪物』の気になる謎を徹底考察・解説していますので、観賞後のヒントになれば嬉しいです。
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【ネタバレあり】映画『怪物』のネタバレ一覧
ネタバレ①:怪物の正体
怪物の正体は、”自分の都合で事実を捻じ曲げたり、理想や常識を押し付けようとする人物”のことです。
そして怪物は、誰の視点かによって誰が怪物かが変わります。
①早織の視点
・保利による湊への虐待を認めず、事なかれ主義で問題をあやふやにしようとした伏見たち教師陣
・湊へ虐待を行い、湊を自殺未遂にまで精神的に追い詰めた保利
②保利の視点
・真相を語らず、ウソで自分を陥れた湊と依里
・学校を守るために事実を明らかにすることなく、問題を大きくしてしまった伏見たち教師陣
・湊への愛情がゆえに、事実が見えなくなってしまった早織
③湊と依里の視点
・男らしさを求める依里の父親と保利
・普通の家族を持つことを求める湊の母親である早織
このように”誰の視点で物語を語るかによって、怪物の姿が入れ替わってしまう”ということです。
本作は、「早織の視点」、「保利の視点」、「湊と依里の視点」で物語が進んでいきます。
それぞれの視点では、視点の持ち主が絶対的正義として描かれていますが、他者の視点になると事実が180度異なって見えてしまうのです。
また湊と依里が行なっていた怪物ゲームにも、ちゃんとした意味があります。
怪物ゲームとは、インディアンポーカーのように自分の額に当てたカードを当てるゲームです。
怪物ゲームは、自分がどんなカードを額に当てているのかはわからず、そのカードを見ている他者でなければわかりません。
つまり怪物ゲームとは、”誰も自分自身の正体を知らない”ということを表しているのです。
また怪物ゲームをプレイしている本人たちは、自らが怪物だとは思っていません。
そのため、”誰もが自分自身を誰かの怪物だとは思っていない”ということも表しています。
これは私たち観客にも言えることです。
というのも、私たち観客も映画や小説を観たり読みながら、「保利はクズだな」、「早織はモンスターペアレントだ」、「校長はクソ野郎だな」とか色々考えてしまったはずです。
それがもはや怪物の考え方であり、”限られた視点や考え方で判断してしまうことの恐ろしさ”を描いています。
ネタバレ②:豚の脳
豚の脳とは、”人間の脳ではない=男らしくない”ということです。
この豚の脳という言葉は、依里の父親が言っていた言葉です。
依里の父親はエリート思考が強く、他人を見下す性格の持ち主です。
また同性愛に対して否定的な考えを持っているため、女性に興味を持たず男性に興味を持っている依里、つまり「男らしくない」依里のことを治療と称して日常的に虐待を加えていました。
また豚の脳とは言っておりませんが、保利も度々「男らしくないぞ」と生徒に言っており、そのため依里にとっては、保利も父親同様に「自分のことを豚の脳の持ち主だと思っている」と考えていたはずです。
だからこそ依里は、大翔たちによるいじめの相談を保利に出来なかったわけです。
このように言葉が持つ暴力は、意識的であれ無意識的であれ他人を傷つけているということがわかります。
ネタバレ③:湊や依里がウソをついた理由
湊や依里は明確なウソをつき、保利を退職へと追いやりました。
そんな2人がウソをついていた理由は、”2人の関係が周囲にバレたくなかったから”です。
湊や依里はお互いを好いている関係性、いわゆる同性愛者です。
もちろん社会的にも全く問題のない関係性なのですが、2人はまだ小学5年生であり、同性愛=男らしくない、つまり豚の脳の持ち主であると考えています。
そして2人の関係性がバレてしまうと、もう世の中を生きていくことが出来ないとまで思い詰めているのです。
そんな2人のウソを隠すため、犠牲となってしまったのが保利です。
というのも、原作である小説には詳細が描かれているのですが、”湊や依里が通う学校の隣の小学校で小学4年生を担当している男の先生が女児にイヤらしいことをしようとして不祥事を起こし、1ヶ月の停職処分となっている”のです。
そのため湊は、「ウソをついて保利先生を悪者にしても、きっと1ヶ月ぐらい休みになるだけなんだろう」と軽く考えてしまい、ウソをついてしまったのです。
しかし結果として、湊の母親である早織が騒ぎ始め、また依里もウソに便乗してしまったことから事件は炎上してしまい、保利は教師の職を奪われ、自殺未遂を起こしてしまうほど社会的にも追い詰められてしまうことになるのです。
ネタバレ④:いじめの真相
いじめの真相は、”おとなしく男らしくない依里を大翔たちがからかっていた”というものです。
真相は至って単純であり、冷静に考えれば真相は明らかになったはずです。
しかし各自それぞれの視点で考えると、真相は事実が捻じ曲がった状態で目に映ってしまったのです。
①早織の視点
・湊の様子がおかしいので、いじめられているに違いない
→髪の毛を切る、水筒に砂利が混ざっている、服に絵の具が大量に付いている、耳に怪我をしている等
・湊が保利に虐待を受けていると言っている
→保利が湊を虐待しているなら、学校を訴えるしかない
・湊は自殺を考えている、これも保利のせいに違いない
②保利の視点
・いつも依里の近くに湊がいる
・背の高い湊が依里をトイレに閉じ込めたに違いない
・2人の喧嘩の原因は湊にあるに違いない
③湊と依里の視点
・湊は依里を助けたいが、周囲の目線(特に大翔たち)があるので大っぴらには助けることが出来ない
→だから体操服を投げ捨てたり、依里を組み敷いて絵の具を塗ったりした
・湊は依里が放火犯だと確信し、砂利の入った水筒の水で消火したりライターを持ち帰った
・湊は依里と一緒にいたい、だからこそ走行中の車から降りてしまった
上記内容が全てではありませんが、それぞれの視点により事実が捻じ曲がった状態で他者に伝わってしまっているのです。
そして「おとなしくて男らしくない依里を大翔たちがからかっていた」という真相は、誰の目にも触れることなく闇へと葬り去られてしまうわけです。
ネタバレ⑤:生まれ変わりの意味
湊や依里が度々口にする生まれ変わりですが、これには宇宙の終点の理論的可能性の1つであるビッグクランチが関わっています。
ビッグクランチとは、”宇宙がどのような状態になって終わるか、という理論的可能性の一つ”のことです。
宇宙は現在も加速膨張していると言われていますが、いつかは加速膨張の原因であるダークエネルギーより重力の効果がより強くなり加速膨張が終わり、宇宙は収縮し最終的にビッグばんと同じ高密度状態に逆戻りする、という説です。
簡単に言ってしまえば、”ビッグバンは宇宙の始まりを表し、ビッグクランチは宇宙の終わりを表している”という理解で大丈夫です。
本作では依里はビッグクランチのことを「時間が戻る」と表現していました。
全ての時間が逆戻りし、宇宙が出来上がる前まで時間が戻るということです。
それを湊と依里は、「生まれ変わり」と表現していました。
湊と依里は、お互いを愛していますが、その想いを周囲に打ち明けることは出来ずに悩んでいました。
だからこそ2人は、新しい人生を歩みたい、可能であれば時間が戻ってほしいと感じていたはずであり、新たに生まれ変わることを望んでいたのです。
しかしラストシーンで明らかになりますが、生まれ変わりというものは存在せず、存在するのは”何も変わらない湊と依里の身体と脳”です。
決して2人の身体や思想は歪なものではなく、人として当たり前のように与えられた権利であり自由です。
だからこそ生まれ変わりをする必要などなく、ありのままで生きていけばいい、今の環境がありのままに生きていけないのであれば新しい環境へ旅立てばいい、そんな2人の気持ちがラストシーンに溢れています。
ネタバレ⑥:管楽器の意味
本作では伏見校長と湊が管楽器を演奏するシーンがあります。
この管楽器による演奏シーンには、”誰にも言えない秘密を管楽器に息を吹き込むことで吐き出している”という意味があります。
①伏見校長
・孫娘を車で轢き殺してしまったが、学校を守るために罪を夫になすりつけた
・学校を守るために、真相を明らかにせずに保利を犠牲にした
②湊
・依里との関係がバレるのを防ぐため、保利に対して不利な嘘をついた
・依里への気持ちを押し殺し、男らしくあろうとした
湊がついた些細な嘘が引き金となり、保利は退職に追い込まれ、社会的に抹殺されました。
そのことをは湊の心に深い傷を残しておりますが、その事実を誰にも打ち明けることは決して出来ません。
しかしその事実を打ちかけないと、湊の心は罪悪感で押しつぶされてしまいます。
そんな湊の心を救ったのが、伏見校長との管楽器による演奏です。
管楽器は大きく息を吹き込まないと鳴らすことが出来ない楽器です。
そのため伏見校長と湊は、それぞれの秘密を大声で話すかのように管楽器に息を吹き込み、自らの罪悪感を軽減する、つまりはストレス発散していたということです。
ネタバレ⑦:大人たちのその後
湊と依里の嘘により運命が狂ってしまった大人たちですが、その後はどうなってしまったのでしょうか。
①早織(湊の母親)
・土砂崩れに巻き込まれてしまった湊を探すが、姿を発見することは出来ず絶望感に打ちひしがれる
・湊は早織の元を去ってしまい、罪悪感を抱えながら人生を過ごすことになる
・生死不明
②保利(湊と依里の担任)
・湊と依里の関係性に気づき、2人を勇気づけるために早織と共に2人の姿を探す
・土砂崩れに巻き込まれてしまった2人の姿を発見することは出来ず、絶望感に打ちひしがれる
・湊への暴行疑惑により、教員を退職させられ社会的にも抹殺されているため、人知れず孤独に生きていくことを強いられる
・生死不明
③依里の父親
・自宅で依里を水責めで虐待した後、嫌気が差して外出
・暴風雨の中、高架下で酒を飲むが足がもつれて転倒
・怪我をしたと思われるが、助けを求める声は暴風雨にかき消される
・生死不明
④伏見校長
・暴風雨の中、傘もレインコートも身につけずに水路を見つめる
・誰かに声をかけられ、ふと顔を上げるが誰もいない
・声をかけたのは亡くなった孫娘かと思われる(伏見の幻聴)
・生死不明
いずれも生死については触れられておりません。
まあおそらくですが、全員生きているんでしょうね。
しかしいずれにせよ、湊と依里はあたらしい世界に旅立ってしまったので、残された大人は絶望感と罪悪感を抱えながら、残りの人生を過ごしていかなければなりません。
ネタバレ⑧:放火の犯人
本作の冒頭でガールズバーの入ったビルが燃えておりますが、ビルを放火した犯人は”父親を殺そうとした依里”です
依里の父親は自己中心的な性格であり、酒もよく飲んでいました。
また同時に男らしさを強く求める人物であり、その影響もあってガールズバーに良く通っていました。
もちろん依里もそのことを知っていたので、父親を殺すためにライターでビルに放火したのです。
依里の心の内に秘められた狂気が良くわかるシーンですね。
ネタバレ⑨:湊が車から飛び降りた理由
湊が早織の運転する車から飛び降りた理由は、”依里が車を追いかけてきていると思ったから”です。
湊と依里はお互いの気持ちに気づいた後、すれ違いが続いていましたが、遂に2人は会う直前までいきましたが、寸前のところで湊の母親である早織が来てしまいました。
そのため依里は、悲しげな表情で立ち去ってしまいます。
早織と共に車で立ち去る湊ですが、そんな湊の元に依里から電話がかかってきます。
というのも、湊と依里は2人の関係が周囲にバレないようにウソをついており、その結果として保利の人生をメチャクチャにしてしまいました。
また早織は湊に対し、「父親のように普通の家庭を築いてほしい」と願っています。
しかし湊は依里が好き、つまり女性ではなく男性が好きなため、早織が言うような普通の家庭というのは築くことが出来ません。
また同時に依里からの電話に出てしまうと、依里との関係性が早織にバレてしまう可能性があり、その結果として保利に対してのウソがバレてしまう可能性もあります。
だからこそ湊は、依里からの電話に出ることが出来なかったわけですね。
しかし何とか依里に会いたいと考えた湊は、思わず車から飛び降り、依里の元に向かおうと考えたわけです。
車のドアを開けたら早織は車を停めてくれる、そうすれば走って逃げて依里に会いにいける、と考えたわけですね。
しかし実際は、あまりの突然の出来事に早織はブレーキが間に合わず、湊は車から転げ落ちて怪我をすることになってしまいます。
そして、その後の病院で湊はCTスキャンを受けますが、湊の表情には怯えと恐れが走っていました。
その理由は、”CTスキャンで頭の中を覗かれることにより、依里との関係性や保利へのウソがバレてしまうかもしれない”と考えていたからです。
そして湊の秘密が皆んなにバレて、馬鹿にされて笑われてしまう、豚の脳だとバレてしまう、と考えていたのです。
ネタバレ⑩:ラストシーンについて
ラストシーンでは、土砂崩れから逃れた湊と依里が新しい世界に向かっていくシーンで幕を閉じます。
2人は愛し合っていますが、その秘密を周囲の大人に明かすことは出来ません。
もし秘密を明かしてしまうと、普通の家庭を持つことを望む早織、無意識の内に男らしさを求めてしまう保利、同性愛を嫌悪する依里の父親、からかって集団でいじめてくる大翔たち・・・このような人物たちの期待に応えることが出来ず、人生の落第者のレッテルを貼られて除け者にされてしまう可能性があります。
そして湊と依里の2人は、土砂崩れに巻き込まれたことにすら気づいていません。
土砂崩れによる爆音や振動を「旅立ちの時」として捉えているのです。
そして土砂崩れから逃れたことにより、目の前には新しい世界が開かれており、2人だけで新たな人生を歩んでいける、と考えているわけですね。
しかし当たり前ですが、経済力も生活力もない子供2人で人生を歩んでいくことなど出来ません。
湊と依里のその後の人生については描かれておりませんが、無事に大人に保護されるか、どこかでのたれ死んでしまうか、の2択かと思われます。
2人だけで新しい人生を歩んでいけるほど、現実は甘くないからです。
そして無事に大人に保護されたとしても、2人にとっては耐え難い人生になることが想像出来ます。
湊に関しては「早織の期待に応えることが出来ない申し訳なさ」、「保利の人生を台無しにしてしまった罪悪感」、「依里への想いを隠し続けること」を抱えながら人生を歩んでいかなければなりません。
依里に関しては「虐待する父親との同居」、「保利の人生を台無しにしてしまった罪悪感」、「湊への想いを隠し続けること」を抱えながら人生を歩んでいかなければなりません。
いずれにせよ、湊と依里の2人にとって幸せな人生にはならないんですよね。
またラストシーンと小説では、ラストシーンの描き方が若干異なっています。
というのも、原作である小説では”湊と依里の生存が確定している”のに対し、映画では”湊と依里の生存があやふやな状態にしている”んですよね。
小説だと湊と依里が死んだという表現はしておらず、台風の影響でなくなってしまった鉄橋への道を塞ぐバリケードの先にある世界へ旅立っていくシーンで幕を閉じています。
対して映画だと、鉄橋への道を塞ぐバリケードがなくなっているシーンまでは一緒ですが、湊と依里が見ている景色が夢か現実なのかがわからないようになっています。
確かにいくつか疑問点が残るのは事実です。
・なぜ横転した電車の下にある水路の勢いが少なかったのか?
・なぜ水路から出たら、台風が過ぎ去って青空が広がっていたのか?
・なぜ鉄橋への道を塞ぐバリケードがなくなっているのか?
これらの要素があるため、「水路は生まれ変わりを示す産道を表しているのではないか」、「青空が広がっていたのは、湊と依里が死んだからではないか」、「バリケードがなくなったのは、湊と依里が死んだからではないか」などという考察も考えられます。
というのも、湊と依里は土砂崩れに巻き込まれましたが、電車に乗っていました。
また映画を観て確認が出来ましたが、電車は土砂崩れに巻き込まれて横転しているに過ぎません。
つまり”土砂崩れに巻き込まれて窒息死や打撲死する可能性は低い”と考えられます。
しかし早織と保利が横転した電車の窓から覗いたとき、湊と依里の姿を見つけることは出来ませんでした。
これも小説版を見るとわかるのですが、湊と依里は運転席側にいたんですよね。
そのため単純に早織と保利の視点からだと、湊と依里の姿が見えなかっただけだと考えられます。
そして湊と依里が水路から抜けた際、青空が広がっていたシーンですが、これも単純に考えて台風が過ぎ去ったんだと考えられます。
しかし早織と保利の姿が見当たりませんでした。
これは”早織と保利は、消防団に助けを求め一旦山を下った”ということだと考えられます。
そして消防団や早織たちが準備をしている間に台風が過ぎ去り、青空が広がったということです。
おそらくですが、湊と依里は電車ごと土砂崩れに巻き込まれていたことにより、運転席側で気を失っていたんだと考えられます。
そしてしばらくして目を覚まし、水路を伝って外に脱出したのです。
その時は既に台風は過ぎ去っていましたので、水路を流れる水も少なく、また雨も止んでおり青空が広がっていたわけですね。
そしてラストシーンを1番ややこしくしているのは、鉄橋への道を塞いでいたバリケードの存在です。
このバリケードは映画と小説ともになくなっており、湊と依里が未来への道を駆け出していく象徴として描かれています。
問題は、なぜバリケードがなくなったのか、ということです。
単純に考えれば、台風の影響によって吹き飛ばされた、もしくは土砂崩れや倒木によって崩壊した、ということになります。
個人的には、”台風の影響によって吹き飛ばされた”と考えています。
というのも、小説には詳細が描かれているのですが、湊と依里が見ている鉄橋は”旧富淵鉄道跡地と呼ばれている廃線になった線路”です。
湊たちは小学校の課外授業で「昔の鉄道は何度も土砂災害や水害で通行止めとなり、不便で仕方なかった」、「市民の願いによって新しい鉄道が出来た」とお年寄りから教えてもらっています。
そのため鉄橋を塞ぐバリケードもかなりの年月が立っていることが想定されます
だからこそ老朽化に耐えることが出来ず、ついに台風によって吹き飛ばされてしまった、と考えられます。
以上の事柄から考察すると、”湊と依里は生きており、鉄橋の先に続く新しい世界へ旅立ったが、その後の生死は不明”ということになります。
小説『怪物』の感想
最初は「街に正体不明の怪物が現れて、子供たちを不幸にして攫っていく話なのかな?」と思っていましたが、全く異なり重厚なヒューマンドラマでした。
ところどころ得体の知れない現象が発生しているため、「もしかして霊的な何かが絡んでいるのか?」と思わせる表現方法は非常に素晴らしいと思います。
誰の視点かによって怪物の正体が異なる、という演出は物語に深みを出しており、非常に良かったと思います。
これって現実社会でも同様のことが言えると思うんですよね。
正しいと思っていたことも、視点を変えると見方が変わってくる、というのは誰しも経験したことがあることだと思います。
そしてそれぞれが正しいと思っている正義も度がすぎてしまえば悪にもなる、ということを再認識させてくれました。
何より湊と依里の心理描写が非常に上手く、秘密を知ってしまった後はあまりの切なさに胸が締め付けられる想いで一杯でしたね。
早織や保利が良かれと思って口にしていた何気ない言葉が、湊や依里を苦しめているというのは、非常に現実味があり背筋が凍る想いでした。
このように観客に対し、ハッと何かを気づかせる演出は流石だと思います。
湊と依里のその後、残された大人たちのその後については詳しく描かれておりませんが、それぞれ罪の十字架を背負って生きていくことになるんでしょうね。
まとめ
各視点での人間模様や正義が上手く描かれており、非常に良く出来たヒューマンドラマです。
誰しもが怪物になり得る、ということを非常にリアルティを持って教えてくれます。
母親、先生、子供という3者の異なる視点で真相が描かれており、どの視点に立って物語を見るかによって印象がガラリと変わる映画です。
そして描かれている人物たちは、怪物のように見えますが人間です。
人間そのものと言っても過言ではありません。
しかし見る人の視点によっては、人間ではなく怪物に見えてしまう、人は自分の見たいものだけを見る、ということが痛烈に実感させてくれる素晴らしい内容に仕上がっています。
切なさの中に爽快感が残るラストシーンも素晴らしいですね。
【ネタバレ】『ベイビー・ブローカー』感想と考察【ラストシーンの意味を徹底解説!】
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最後まで読んでくれてありがとうございました。