こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『ディア・エヴァン・ハンセン』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『ディア・エヴァン・ハンセン』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『ディア・エヴァン・ハンセン』が好きになると思いますよ♪
映画『ディア・エヴァン・ハンセン』のあらすじ
学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいるエヴァン・ハンセンが自分宛に書いた「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる手紙を、同級生のコナーに持ち去られてしまう。
後日、コナーは自ら命を絶ち、手紙を見つけたコナーの両親は息子とエヴァンが親友だったと思い込む。
悲しみに暮れるコナーの両親をこれ以上苦しめたくないと、エヴァンは話を合わせ、コナーとのありもしない思い出を語っていく。エヴァンの語ったエピソードが人々の心を打ち、SNSを通じて世界中に広がっていく。
・ブロードウェイミュージカルを映画化
・エヴァン役をミュージカル版のベン・プラットが演じる
・大迫力のミュージカルシーンが胸アツ!
・明るいだけではなく、社会の闇も感じられる
本作の監督はスティーブン・チョボウスキー、あの超絶泣ける映画『ワンダー 君は太陽』を手掛けた人です。
そして肝心のミュージカル音楽を『ラ・ラ・ランド』や『グレイテスト・ショーマン』、そして『アラジン』を手掛けたベンジ・パセックとジャスティン・ポールが担当しています。
今までのミュージカル映画とは、少しテイストが異なるかもしれません。
では『ディア・エヴァン・ハンセン』をネタバレありで紹介していきます。
【ネタバレあり】映画『ディア・エヴァン・ハンセン』のネタバレ一覧
ネタバレ①:ディア・エヴァン・ハンセンの意味
本作のタイトルにもなっている『ディア・エヴァン・ハンセン』とは、直訳すると”親愛なるエヴァン・ハンセン”という意味です。
一般的には親しい友人などに向けて手紙やメールを送るときに「Dear(ディア)〜」と書きます。
本作の主人公であるエヴァン・ハンセンは、周囲とも馴染めず友人がおらず、うつ病も患っていたためカウンセラーに通い、薬も処方してもらっています。
また父親は、エヴァン・ハンセンが7歳の頃に家を出て行ってしまったため、夜勤病院の仕事で忙しい母親ハイディと2人で暮らしており、金銭的にも厳しい家庭で育ちました。
一緒に暮らしているはずの母親ハイディともすれ違いの生活が続いております。
エヴァン・ハンセンは、周囲から見ると浮いている存在であり決して人生の勝ち組とは言えない存在です。
そんな自分を少しでも変えるため、カウンセラーから勧められた治療法の1つが”自分自身に前向きな手紙を書く”というものです。
つまり本作のタイトルになっている『ディア・エヴァン・ハンセン』とは、”エヴァン・ハンセンが自分自身に宛てた手紙”ということです。
エヴァン・ハンセンが自分自身に宛てた手紙が誤ってコナーの手に渡ってしまったことにより、世間を揺るがした大事件に発展してしまうのです。
ネタバレ②:コナーの親友だと嘘をついた理由
エヴァン・ハンセンが自分自身に宛てた手紙が、誤ってコナーの手に渡ってしまったことにより、世間を揺るがした大事件に発展します。
もちろんエヴァン・ハンセンとコナーは友人ではありません。
むしろ赤の他人と言っても過言ではありません。
しかし運命のイタズラなのかコナーに手紙が渡ったのち、コナーは自殺をしてしまいます。
コナーが自殺した際、本来はエヴァン・ハンセン自身に宛てたはずの手紙がコナーのポケットに入っていたため、手紙がコナーの遺書として捉えられてしまうのです。
というのも、コナーの両親は手紙を遺書と信じて疑いません。
しかもコナーもエヴァン・ハンセン同様に周囲から浮いており、親しい友人はおりませんでした。
それが手紙には「ディア・エヴァン・ハンセン(親愛なるエヴァン・ハンセン)」と書いてあるのですから、コナーの両親からすれば「友人がいないと思っていた息子が人生の最後に書いた手紙」として認識してしまうのも無理はありません。
なんとしても息子の親友であるエヴァン・ハンセンから息子の生きていた頃の思い出を聞き出したいわけです。
ここでエヴァン・ハンセンが「その手紙は遺書ではなく、僕自身に宛てた手紙です」なんて言ったものなら、コナーの両親は失意のどん底に落とされてしまいます。
心優しいエヴァン・ハンセンは、思わず「コナーとは親友だった」という優しい嘘をついてしまうわけです。
この嘘が後々に世間を揺るがす大事件に発展するとは夢にも思わず・・・。
しかしエヴァン・ハンセンが嘘をついた理由は、コナーの両親を気遣ったということだけではありません。
どちらかと言うと、エヴァン・ハンセン自身のために嘘をついたと言っても良いでしょう。
エヴァン・ハンセンが嘘をついた大きな理由は、次のとおりです。
①家族愛に飢えていた
→マーフィー家の家族愛は、エヴァン・ハンセンにとって理想の世界。
②ゾーイのことが大好き
→遺書だと嘘をつけば、ゾーイと一緒にいられる
③新しい自分になりたい
→コナーの親友ということにしておけば、周囲からも注目され新しい自分になれる
ひとつずつ説明していきます。
まず「①家族愛に飢えていた」ですが、これはエヴァン・ハンセンの家族構成が物語っています。
エヴァン・ハンセンの父親は、エヴァン・ハンセンが7歳のときに家を出て行ってしまいました。
そのためエヴァン・ハンセンは、母親であるハイディによって育てられます。
しかし女手一つで子供を育て上げるのは並大抵のことではありません。
ハイディは夜勤病院の仕事をしているため、いつも家を留守にしています。
必然的にエヴァン・ハンセンは、母親と一緒に過ごす時間が少なくなってしまい、常に家族愛に飢えているのです。
そんな中、手紙がきっかけでマーフィー家と知り合います。
マーフィー家は、息子コナーを亡くした悲しみに暮れていましたが非常に家族愛が強くエヴァン・ハンセンにとっては、理想の家族像だったのです。
「コナーの手紙を遺書ということにすれば、マーフィー家の人と繋がり家族愛を体感できる」、そう考えたエヴァン・ハンセンは嘘をついてしまうのです。
続いて「②ゾーイのことが大好き」について説明します。
ゾーイはエヴァン・ハンセンが想いを寄せる女性であり、亡くなったコナーの妹でもあります。
今までのエヴァン・ハンセンであれば、ゾーイに声をかける勇気すらなくただ遠くから眺めているだけでした。
しかし今のエヴァン・ハンセンは、「亡くなった兄コナーの唯一の親友」という立場です。
「コナーの手紙を遺書ということにすれば、大好きなゾーイと一緒にいられる」、そう考えたエヴァン・ハンセンは嘘をついてしまうのです。
最後に「③新しい自分になりたい」について説明します。
エヴァン・ハンセンは、周囲に馴染めず友人がおらず、うつ病も患っております。
そのためいつも世の中を当事者ではなく外側から眺めており、自ら何か行動を起こすと言ったことが出来ません。
しかし今回の手紙をきっかけにエヴァン・ハンセンは、「亡くなったコナーの親友」という立場を得ます。
またコナーのような人を2度と出さない、悲劇を繰り返さないといった想いから「コナー・プロジェクト」なるものが発足され、エヴァン・ハンセンはプロジェクトの中心メンバーとなっていくのです。
周囲から注目され、友人も恋人も出来る、この状況は今までのエヴァン・ハンセンの立場からは考えられないことです。
つまりは新しい自分になったということです。
「コナーの手紙を遺書ということにすれば、新しい自分になれる」、そう考えたエヴァン・ハンセンは嘘をついてしまうのです。
以上の3つがエヴァン・ハンセンが嘘をついた大きな理由です。
最初は「コナーの両親を悲しませたくない」、そんな想いから始まった嘘が徐々に自分自身の願望を叶えるための嘘になっていってしまうのです。
ネタバレ③:ゾーイとは結ばれたのか
エヴァン・ハンセンがついた嘘が明らかになり、ゾーイとの関係も終わりを迎えます。
流石に本作でエヴァン・ハンセンがついた嘘は許されるものではありません。
もちろんゾーイとは結ばれませんし、今後も結ばれることはないでしょう。
例えゾーイが許しても、コナーの両親が許すとはとても思えないからです。
もちろん結果としてコナーの果樹園が作られ、皆がコナーのことを忘れないきっかけにはなったと思います。
しかし思い出してください、コナー・プロジェクトのクラウドファンディングも苦戦していましたよね?
またコナーの遺書(実際はエヴァン・ハンセンが自分自身に書いた手紙)をネット上にアップしたとき、心ないコメントや中傷がありましたよね?
つまり人々の関心は無責任かつ薄いということです。
コナーの果樹園も最初は良いかと思いますが、徐々に人々の記憶から薄れていってしまうと思います。
もちろんコナーの両親やゾーイは覚えていますが、それは同時にエヴァン・ハンセンの嘘も覚えているということです。
エヴァン・ハンセンが自らの過ちを認め、未来に向かって進むようなラストシーンですが、ゾーイと結ばれなかったことは残念で仕方ありません。
映画『ディア・エヴァン・ハンセン』の感想
『ラ・ラ・ランド』と『グレイテスト・ショーマン』、『アラジン』の音楽チームが贈る!、というキャッチコピーに釣られて観賞してきました。
どちらも好きな映画であり、涙で画面が見えなくなるほど感動したものです。
そのため本作は、かつてないほどハードルを上げた状態で観に行くことになってしまいました。
いや違うんですよ!面白くないとか、泣けないとか、そういうことじゃないんです。
普通に面白かったし、涙ぐむシーンもあったのですが、どうしてもエヴァン・ハンセンの嘘に感情移入できなかったんですよね。
もしエヴァン・ハンセンが「コナーの両親のためだけに嘘をつく」とかだったら最高でした。
しかし実際は、エヴァン・ハンセン自身のためについた嘘が大半です。
しかも結構取り返しのつかないエゲツない嘘をついていますからね・・・
良く真実をぶちまけたとき、コナーの両親から殺されなかったなと思ってしまったくらいです。
唯一の救いは、ミュージカル映画だということですね。
ミュージカル映画って歌や踊りのシーンは、どちらかというと虚構だと思っています。
日常生活では、いきなり歌ったり踊ったりしないですよね?
それがミュージカル映画では、ごく当たり前のように行われています。
本作でも感動スピーチの際、エヴァン・ハンセンが歌っていますが、実際にスマホで拡散された動画を見ると普通にスピーチしているんです。
つまり本作のミュージカルシーンは、”歌ったり踊ったりしている人物の心の声、つまり虚構”ってことです。
歌ったり踊ったりしても心の声なので周囲には見えていない、ってことですね。
エヴァン・ハンセンがちょいちょい歌ったり踊ったりするんですが、そのシーンがとても前向きで希望に満ちているので本作の世界観と上手くバランスが取れているんだと思います。
もしこれがミュージカル映画じゃなかったら、ただの自己中な男の嘘八百ストーリーですからね。
まさにミュージカル映画要素が上手く働いている映画だと思います。
しかしその反面、いつ嘘がバレるのか怖いところがあります。
観賞中も「いつ嘘がバレて痛い目を見るんだろう…」とハラハラしてしまい、別に意味で映画に集中出来ませんでした。
エヴァン・ハンセンの気持ちもわかるんだけど、もう少しマシな嘘はつけなかったものですかね…。
そうなんです!そこが本作の魅力ですよね、とにかくエヴァン・ハンセンを人間臭く描いています。
誰しもが孤独や秘密を抱えている、それを例え嘘だったとしても等身大かつ自分の言葉で表現したからこそ、エヴァン・ハンセンの言葉は世間の共感を得たのだと思います。
まとめ
優しい嘘だけを突き通すのであればとても綺麗な話でしたが、実際はエヴァン・ハンセンが自分自身のために嘘をついてしまった、という内容でした。
エヴァン・ハンセンの気持ちもわからなくはないですが、あまりにエゲツない嘘なため上手く感情移入することが出来なかったのが残念です。
歌とダンスシーンが最高に面白く、特に序盤のエヴァン・ハンセンとコナーの友情を築くミュージカルシーンは胸が熱くなりました。
しかし2021年を代表するミュージカル映画であることには変わりありません。
次回からはあまりハードルを上げ過ぎずに映画館に行くようにいたします笑。
最後まで読んでくれてありがとうございました。