こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『バビロン』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『バビロン』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『バビロン』が好きになると思いますよ♪
映画『バビロン』のあらすじ
1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。サイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)は毎晩開かれる映画業界の豪華なパーティの主役だ。会場では大スターを夢見る、新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と、映画製作を夢見る青年マニー(ディエゴ・カルバ)が、運命的な出会いを果たし、心を通わせる。恐れ知らずで奔放なネリーは、特別な輝きで周囲を魅了し、スターへの道を駆け上がっていく。マニーもまた、ジャックの助手として映画界での一歩を踏み出す。しかし時は、サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の時代。映画界の革命は、大きな波となり、それぞれの運命を巻き込んでいく。果たして3人の夢が迎える結末は…?
・黄金時代と呼ばれた1920年代のハリウッドを描く超大作
・サイレント映画からトーキー映画への移り変わりを描く
・冒頭の酒池肉林の饗宴、最高のラストシーンは必見!
・「映画とは何か?」という究極の問いに答えを出す!
「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督最新作の舞台は、ゴージャスでクレイジーなハリウッド黄金時代、豪華なファッションに、ド派手なパーティ、規格外の映画撮影に、熱狂的ジャズミュージックが、観客の感性を刺激する超大作『バビロン』です。
デイミアン・チャゼル監督が15年前から構想を温めてきた企画であり、「ラ・ラ・ランド」以来6年ぶりに自身で脚本も執筆した極上エンターテインメント作品に仕上がっています。
本作の舞台は、ゴールデンエイジ(黄金時代)と呼ばれた1920年代ハリウッドであり、サイレント映画からトーキー映画へと移り変わりゆく激動の時代であり、富と名声、そして野心に彩られた映画業界で夢を叶えようとする男女を描いています。
主演には、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーを迎え、激動のハリウッドで夢を叶えようとする男女を演じており、共演には「スパイダーマン」シリーズのトビー・マグワイア、「レディ・オア・ノット」のサマラ・ウィービング、監督としても活躍するオリビア・ワイルド、ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリーら多彩な顔ぶれが集結しています。
そして「ラ・ラ・ランド」で第89回アカデミー賞作曲賞・歌曲賞を受賞したジャスティン・ハーウィッツが音楽を手がけおり、もう完璧な映画と言っても過言ではないぐらいの出来栄えです。
またゴールデン・グローブ賞では作品賞や演技賞をほぼ独占するなど主要5部門にノミネートしており、本年度の賞レースの主役との呼び声高い、未来に語り継がれる新時代の名作が誕生しています。
当ブログでは、『バビロン』の気になる謎を徹底考察・解説していますので、観賞後のヒントになれば嬉しいです。
\31日間無料でお試し/
31日以内の解約なら無料♪
映画チケットが最大900円に!
【ネタバレあり】映画『バビロン』のネタバレ一覧
ネタバレ①:登場人物のモデル
本作に登場した登場人物には、それぞれモデルとなる実在の人物がいます。
(1)ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)
サイレント映画の頂点に立つ超大物スター。
ジョン・ギルバート、ダグラス・フェアバンクス、ルドルフ・ヴァレンチノなど、サイレント映画時代の主役たちがモデルであり、特にジョン・ギルバートの色が強い。
ジョン・ギルバートが出演するロマンティック映画の昼の回「マチネ」は、女性客で満席となり、「マチネ・アイドル」と呼ばれた。
私生活では、「肉体と悪魔」(26)で共演したグレタ・ガルボをはじめ、美人女優と次々に浮名を流し、生涯で4回結婚している。
そしジョン・ギルバートのトーキー映画第1作目である「彼の栄光の夜」(29)で、見かけによらない甲高い声が湿生を浴びて人気が失脚。
その後、ジョン・ギルバートは酒に溺れ、1936年に映画撮影中にアルコールが原因の心臓発作で38歳という若さで急死した。
(2)ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)
ショービジネスの世界で大ブレイクを果たそうとする、怖いもの知らずの新鋭女優。
サイレント映画時代の最大のセックス・シンボルであるクララ・ボウがモデル。
『あれ』(27)では性的魅力が溢れるデパートガールを演じてイット・ガールと呼ばれた。
ネリーがブラジャーを着けないのは、クララ・ボウがブラジャーを付けていなかったからである。
クララ・ボウもネリー同様に貧しい家庭で育っている。
クララ・ボウは1930年代になると、トーキー映画の台頭に伴い、下町訛りのセリフや奔放な私生活が批判され、人気が衰え引退した。
(3)マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)
映画作りを夢見てハリウッドの世界に飛び込む青年。
キューバからの移民で最年少スタジオ幹部となったレネ・カルドナがモデル。
(4)シドニー・シドニー・パーマ
トランペットの名手であり、無声映画からトーキー映画の時代に移り変わる中で、スタートして突然の富と名声を手にする。
トーキー映画のブームでハリウッドに引っ張り出された黒人ミュージシャンであるデューク・エリントン、ルイ・アームストロング、カーティス・モスビーがモデル。
シドニーが黒人であることを強調するために顔を黒く塗るよう強制される屈辱的なシーンがあるが、実際にルイ・アームストロングも短編映画「青と黒のラプソディ」(32)などで顔を黒く塗られている。
(5)エリノア・セント・ジョン(ジーン・スマート)
ハリウッドで絶大な力を持つゴシップ・コラムニストであり、俳優のキャリアを左右するほどの影響力を持っている。
作家・脚本家のエリノア・グリンがモデル。
エリノア・グリンはイギリスの作家でクララ・ボウの「あれ」(27)の原作者であり、映画にも出演している。
エリノア・グリンの他にもレポーターのアデラ・ロジャーズ・セント・ジョンズ、映画コラムニストのルエラ・パーソンズ、そして「イヴの総て」(50)の登場人物であるアディソン・ドゥイットなどからも着想を経ている。
(6)レディ・フェイ・ジュー(リー・ジュン・リー)
日中はチャイナタウンのランドリーを手伝いながら、サイレント映画の字幕を書き、夜はパーティーで妖艶に歌うアジア女性。
アジア系初のハリウッド女優アンナ・メイ・ウォンがモデル。
アンナ・メイ・ウォンは、ロサンジェルスでクリーニング店を営む中国移民家庭に生まれ、女優に憧れて10代からハリウッドに出入りし、16歳で「恋の睡蓮」(22)で主演を務めた。
しかし「ミステリアスなアジア人女性」といった役目以外は出番がなく、「上海特急」(32)で共演して親友となったマレーネ・ディートリッヒがバイセクシャルだったことで、レズビアンと噂され、ハリウッドの差別に苦しみながら、56歳で亡くなった。
ネタバレ②:バビロンの意味
本作のタイトルでもある『バビロン』とは、”紀元前6世紀頃に栄えた新バビロニア帝国の首都であるバビロン”を、映画の都ハリウッドとして例えています。
新バビロニア帝国は、ユダ王国を滅ぼしてユダヤ人を奴隷にしたため、旧約聖書では退廃した欲望の国として描かれています。
そんな新バビロニア帝国の首都であるバビロンを、欲望と金と名声が渦巻く映画の都ハリウッドに例えているというわけです。
特に象徴的なのが、”本作の冒頭シーンである酒池肉林の饗宴”ですね。
ありとあらゆる人間の欲望が冒頭シーンに集約されているように感じました。
酒池肉林の饗宴がクライマックスとなっており、その後は変革と転落の社会と人生を映し出しているのが『バビロン』であり、ハリウッドの栄光と闇を描いています。
ネタバレ③:黄金時代と呼ばれた1920年代のハリウッド
本作の舞台は、ゴールデンエイジ(黄金時代)と呼ばれた1920年代のハリウッドであり、”人間の野望、過剰さ、寛大さ、そしてサイレントからトーキーへの変革”を描いています。
黄金時代と呼ばれた1920年代のハリウッドは、無法地帯と言っても過言ではないぐらい倫理観も道徳感もない業界でした。
本作でも混沌としているサイレント映画の撮影現場、パワハラやセクハラの嵐、怪我人や死亡事故も当たり前、という黄金時代ならではの無法地帯が描かれていました。
特にサイレント映画の撮影現場は、様々な映画のセットが入り乱れており、それをカメラの長回しで撮影する方法には度肝を抜かれましたね。
また冒頭シーンでも倫理観も道徳感も無視したカオスな酒池肉林の饗宴が描かれており、本作がR15+であることを再認識させてくれます。
そんな黄金時代のハリウッドで活躍している俳優がジャックです。
そんなジャックもサイレントからトーキーへの移り変わりに対応出来ず、悲しいラストを迎えることになってしまいます。
それほどまでに黄金時代と呼ばれた1920年代のハリウッドは、放置された無法地帯だったということです。
そして時代の変化に伴い、1930年代には制作倫理規定に集約される新しい道徳規範が作り出され、現代社会への礎となっていくのです。
ネタバレ④:サイレントからトーキーへ
本作は1920年代におけるサイレント映画からトーキー映画への変化を描いています。
その変化は映画業界にものすごい衝撃を与え、特に俳優陣は今までの価値観を捨て去り、時代に適応することが求められたのです。
例えばサイレント映画であれば、俳優陣はただ思うがままに演技をしており、セリフは意味をなさないものでした。
しかしトーキー映画になったことにより、俳優陣は演技とセリフを完璧に合わせる必要性を求めら手たのです。
それはとても難しいことであり、様々な困難が待ち構えていました。
その象徴的なシーンが、”ネリーのトーキー映画撮影現場”ですね。
マイクの位置がズレている、雑音が入った、声の大小など様々な理由でテイク数が重なっていき、遂には死人が出てしまうほどでしたね。
また俳優陣は自らの肉声を録音されるため、声質を求められるようになり、ジャックの甲高い声やネリーのヒキガエルのような声は観客から求められなくなってきたのです。
そのため俳優陣の苦悩やストレスは、想像を絶するものだったと思われます。
実際にトーキー映画が台頭してきた1920年代後半は、ハリウッドでは自殺や自殺と思われる事件、ドラッグの過剰摂取などが多発していました。
サイレント映画からトーキー映画への変化は、黄金時代であった1920年代のハリウッドにものすごい衝撃と変化をもたらしたということです。
ネタバレ⑤:ハリウッドの闇
黄金時代と呼ばれた1920年代のハリウッドですが、豪華絢爛な表の姿だけではなく、ハリウッドの闇とも呼ばれる裏の姿がありましたよね。
代表的なのが、”ジェームズ・マッケイが運営する「LAのケツの穴」と呼ばれているフリークショー”です。
フリークショーとは見世物小屋のことであり、普段は見られないような珍奇さや禍々しさ、奇異な外見な人物や動物を見せ物する娯楽のことです。
マニーたちがジェームズのフリークショーに連れて行かれてしまい、ジェームズに渡した偽札のせいで大変なことになってしまいましたよね。
かつてハリウッドでエンターテインメントの1つとして賑わいを見せていたフリークショーですが、トーキー映画の台頭、そして医学の発達によりフリークショーは衰退していきます。
そんな衰退したフリークショーを「LAのケツの穴」と呼ばれる地下深くでジェームズが運営している様子は、”トーキー映画の台頭によるサイレント映画の衰退”を表しているかのようです。
ネタバレ⑥:ジャックが自殺した理由
ジャックが自殺した理由は、”世の中から必要とされなくなったから”です。
ジャックの親友であり制作パートナーだったジョージが自殺してしまったことも要因の1つではありますが、ジャックは「トーキー映画において、自分はもう必要とされていない」ということがはっきりとわかってしまい、自殺を選択してしまったんですね。
ジャックは映画に対して並々ならぬ覚悟と熱意を持っており、例えばサイレント映画の撮影シーンでジャックの近くに槍が飛んできた時も、自分の身の危険を感じる前に「槍が新しいから、もっと古くしろ!」と叫ぶほど映画制作にこだわりを持っている人物でした。
またどんなにお酒が入っていたとしても、カメラが回り出すとシャキッと演技を決めるプロでもあります。
そんなジャックでしたが、元々甲高い声、セリフに感情を込めることが得意ではない、などといった理由からトーキー映画の台頭と共に人気が失墜していきます。
つまり、”過去の栄光にしがみつこうとする、古い人間になりかけている”ということです。
しかしジャック自身は、「映画業界の進歩を妨げてはいけない」と言っていることから、変化を受け入れ対応していく人物ということがわかります。
しかし現実と理想のギャップは激しく、最後は「このまま過去の栄光にしがみ続ける人間でいたくない」、「自分の役目はもう終わった」という想いから自殺を選択してしまったのです。
このジャックの自殺シーンですが、ジャックの足取りをカメラの長回しで撮っており、とても余韻が残る演出に仕上がっています。
ネタバレ⑦:ネリーの選択
本作のヒロインであり、自由奔放な女優であるネリー。
そのラストシーンは、なかなか衝撃的でしたね。
てっきりマニーと一緒にメキシコに逃げるのかと思いきや、直前で失踪してしまいますからね。
ネリーが失踪してしまった理由は、”愛するマニーの人生の邪魔をしたくなかったから”だと考えられます。
ネリーは自由奔放な女性であり、自らを「ニュージャージーのイカれた獣」と呼んでいるほどです。
今まで何度もマニーがネリーを更生させようとチャンスを与えてきましたが、ネリーはことごとくチャンスを棒に振ってしまい、マニーに迷惑をかけてきました。
ギャングのジェームズから逃げる際、マニーとネリーは愛を誓い合い結婚の約束をしましたが、ネリーはまたマニーを裏切ってしまうということがわかっていたんですね。
そのため、ネリーは「このままマニーと一緒にメキシコに行ってしまったら、またマニーを裏切ってしまい、愛するマニーの人生の邪魔をしてしまう」ということがわかっていたはずであり、だからこそマニーの元を去ってしまったのです。
ネリーがその後どういった人生を歩んだのかはわかりませんが、新聞記事の端っこに「34歳で死亡」と書かれていたので、どこかでひっそりと暮らしていたのでしょう。
死因はわかりませんが、ギャングに殺されていたとしたらもっと大きな記事になりそうですので、アルコールの過剰摂取かドラッグの過剰摂取といったところでしょうか。
ネリーこそ黄金時代と呼ばれた1920年代のハリウッドに翻弄された人物の象徴ですね。
ネタバレ⑧:マニーが見た光景
ギャングのジェームズから逃げ出し、逃亡先のメキシコで家族を持ったマニーは、1950年代のハリウッドに戻ってきます。
そして映画館に立ち寄り、映画を観るのですがとても不思議な現象が起きます。
というのも、”ネリーとジャックのモノクロ映画がカラー映画で蘇る現象”が起きるのです。
ジャックやネリーが出演してきた映画の数々が、カラー映画かつトーキー映画でスクリーン上に蘇り、多くの観客を虜にしている様子を見たマニーは、あまりの感動に突っ伏してしまいます。
マニーが見た映像が現実なのか妄想なのかはわかりません。
しかしマニーは、”ジャックやネリーは、スクリーン上でいつまでも生き続けている”と感じたはずです。
そして映画史上、最も衝撃的なラストシーンへと続いていきます。
ネタバレ⑨:ラストシーンの意味
ラストシーンでは、映画史に残る名作が登場していました。
いずれの映画も映画史に多大なる影響と貢献を与えた名作揃いです。
この名作が映画館を訪れたマニーの目線を通じて、我々観客に映し出されていましたが、いったいどのような意味があったのでしょうか?
映画館を訪れたマニーは、1950年代の人間ですので未来の映画のことを知っているはずがありません。
そのため、未来の映画を観ている目線は、”デイミアン・チャゼル監督の目線”ということが考えられます。
しかしなぜラストシーンで未来の映画を流したのか?
その理由は、”映画は監督や俳優が死んだとしても、100年後も見られ続ける芸術であり娯楽である”ということを表しています。
このセリフは、エリノアがジャックに向けて言ったセリフでしたよね。
つまり、”ジャックやネリー、マニーがやってきたことは無駄ではなく、未来の映画へ多大なる影響と貢献を果たした”ということです。
サイレント映画からトーキー映画、モノクロからカラー、実写からCGなど様々な変化が映画業界に訪れましたが、いずれも先人たちが築き上げた礎があったからこそです。
確かにラストシーンで映し出された映画が上映される時代には、ジャックやネリー、そしてマニーは生きてはおりません。
しかし彼らの映画は100年後以降も残り続けますし、彼らが映画業界に残した多大なる影響と貢献は、未来の映画にも確実に受け継がれている、ということです。
また印象深かったのがラストシーンで描かれた、”全ての色の絵の具が混ざり合ったかのような演出”ですよね。
もう何がなんだかわからない不思議な演出でしたが、これにもしっかりとした意味があると考えられます。
まず「絵の具」が映画だと考えられるので、このシーンは”様々な時代の映画や人が混ざり合い、未来を形成していく”ということを表現しているのだと考えられます。
その象徴が未来の映画ですよね。
個人的には、ラストシーンで映し出された「未来の映画」、そして「全ての色の絵の具が混ざり合ったかのような演出」はとても心に響き、鳥肌が立つほど感動しました。
まるで、”人生に意味がないことなんてない、全て未来に繋がっている”という言葉を投げかけられているように感じたからです。
映画『バビロン』の感想
映画史に残る大傑作と言っても過言ではない映画です。
ゴールデンエイジ(黄金時代)と呼ばれた1920年代のハリウッドの栄光と転落、そして変革を描いており、非常に映画愛に満ちた内容に仕上がっています。
しかし「ラ・ラ・ランド」とは大分テイストが異なりますので、「ラ・ラ・ランド」のような爽快感や感動を求めている人には合いませんので注意が必要です。
サイレント映画からトーキー映画への移り変わりがかなり残酷であり、サイレント映画で人気を博したジャックやネリーらは、転落の人生を歩んでいくことになります。
一方でサイレント映画ではスポットが当たらなかった、マニーやシドニーらがスポットを浴びていく様は、どこか皮肉が効いていましたね。
サイレント映画という、今の時代にはあまり馴染みのない文化に対し、本作は非常に丁寧に描いている印象を受けました。
特にサイレント映画の撮影シーンは、「きっと当時はこんな感じだったんだろうなぁ」と感じるほど、事細かに長回しで映し出されていました。
サイレント=音がないですので、あっちこっちで色々な映画の撮影が同時進行で行われている様は圧巻でしたよね。
またサイレント映画時代の混沌とした風土を描いているのも見事でした。
まさか撮影中に人が死ぬなんて・・・今の時代だと大問題になってしまいますよね!
そんなサイレント映画が時代の変化に伴い、トーキー映画へと移り変わってゆく様は、とても衝撃を受けました。
私のような観客でさえ衝撃を受けるのですから、実際の当事者たちの衝撃は想像を絶するものだったはずです。
何しろ昨日までの常識が一切通じなくなってしまうわけですからね。
そんな想像を絶する変化に適応した者もいれば、適当出来ずに弾き出されてしまった者もいます。
適応した者はマニーやシドニー、適応出来なかった者はジャックとネリーですね。
この4人の対比がとても素晴らしく、ハリウッドの闇を感じざるを得ませんでした。
また終盤に登場するジェームズ・マッケイが運営するフリークショーも、衰退したサイレント映画を連想させるような演出になっていましたよね。
この辺りの演出や表現がとても上手く、思わず世界観に没入してしまいました。
そして本作の見所は、何と言ってもラストシーンに集約されていると断言出来ます。
ラストシーンでマニーが訪れた映画館で、マニーは「ジャックとネリーの映画がカラーで蘇る」、そして「未来の名作映画」を観て、”ジャックやネリーはいつまでも映画の中で生き続けており、自分たちの行いは未来の映画に多大なる影響と貢献を及ぼした”ということを知るのです。
もちろんマニーの幻想が含まれているのですが、このラストシーンのメッセージは、デイミアン・チャゼル監督から観客に向けて「映画とは何か?」というメッセージだと思うんです。
解釈は人それぞれですが、私は「映画はいつまでも世の中に残り続ける最高の芸術と娯楽」であると捉えました。
本当に素晴らしいラストシーンです。
まとめ
とても映画愛に満ちた素晴らしい映画です。
前作「ラ・ラ・ランド」のような爽快さはありませんが、全ての映画好きに向けて「映画とは何か?」というメッセージを投げかけてくれています。
単なるサイレント映画からトーキー映画への移り変わりを描く映画ではなく、映画の存在価値自体を改めて考えさせてくれる素晴らしい映画です。
これは間違いなく映画史に残る傑作として、100年後の未来でも上映されていくことでしょう。
\31日間無料でお試し/
31日以内の解約なら無料♪
映画チケットが最大900円に!
最後まで読んでくれてありがとうございました。