こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『アフターサン』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『アフターサン』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『アフターサン』が好きになると思いますよ♪
映画『アフターサン』のあらすじ
父親と2人で過ごした夏休みを、20年後、その時の父親と同じ年齢になった娘の視点からつづり、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。
11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらせてゆく。
出典:映画com
・親娘の夏休みを主観的、客観的視点で描く
・どこか懐かしく、切ない気持ちになる映画
・非常に難解な内容、考察必須
・ラストシーンのダンスは、思わず涙がこぼれる
2022年カンヌ国際映画祭での上映で話題を呼び、A24が北欧配給権を獲得し、多くのメディアが「ベストムービー」として挙げる話題作です。
父カラムを演じたポール・メスカルが第95回アカデミー主演男優賞にノミネートされいます。
またソフィ役は、オーディションで選ばれた新人フランキー・コリンが演じており、11歳という思春期の少女の儚げな表情を上手く表現しています。
監督と脚本は、本作が長編デビューとなるシャーロット・ウェルズ、これからの活躍に期待大ですね。
当ブログでは、『アフターサン』の気になる謎を徹底考察・解説していますので、観賞後のヒントになれば嬉しいです。
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【ネタバレあり】映画『アフターサン』のネタバレ一覧
ネタバレ①:家族との記憶
本作は、父カラムと娘ソフィの思い出、そしてビデオカメラの映像を通じてストーリーが進んでいきます。
そしてラストシーンで明らかになるのですが、”本作は父カラムと同じ年齢(31歳)になったソフィが、ビデオカメラの映像を通じて当時の父の考え、そして想いに身を寄せようとしている”ということがわかります。
当時、思春期で真っ最中であった11歳のソフィは、まだ子供であり父カラムの考えていたこと、想い、そして悩みなどについて考えることは出来ませんでした。
しかし自分自身が父親と同じ年齢になったとき、「父は何を考えていたのか」、「父は私にどうしてほしかったのか」、「父の悩みは何だったのか」に想いを馳せることが出来るようになったのです。
子供の頃はわからなかった親の気持ち、苦労、喜びなどを自分自身が同じ大人になったときに実感するってあると思うんですよね。
本作はそんな誰もが一度は経験したことがある想いを映像化しているのです。
ネタバレ②:カラムの抱えていた心の闇
カラムは、明らかに何かしら心の闇を抱えていました。
・夜にタバコを吸うカラムの姿が闇の中に吸い込まれそうになっている
・脅迫概念のようにギブスを外そうとしている
・道路を横断中、バスに轢かれそうになるが気にしていない
・歯磨き中に鏡の中の自分に唾を吐く
・バルコニーのフェンスの上に立つ
・夜の海に入っていく
・ソフィへの手紙を見ながら、肩を震わせて号泣する
・インストラクターに「30歳まで生きられるとは思わなかった」と言う
そして本作のすごいところは、”このようなカラムの闇の部分を、ビデオカメラには映していない”ということなんです。
ビデオカメラに映っているカラムは、「ソフィを愛しており、優しくて良い父親そのもの」です。
しかしビデオカメラの外、つまり”カラムとソフィの主観による記憶の中では、カラムの抱える心の闇が映り込んでいる”のです。
カラムの抱えている心の闇が何なのかは明確には描かれておりませんでしたが、「カラムが両親から愛を受けていなかったこと」、「妻(ソフィの母親)と離婚しており、ソフィとはたまにしか会えないこと」、「金銭的な問題を抱えていたこと」などを考えると、”カラムはうつ病を患っていた”と考えられます。
そして現実世界の心の闇と同じように、カラムの抱えている心の闇は表面化することはなく、ソフィの目に触れることはありません。
むしろ愛するソフィだからこそ、カラムは心の闇をさらけ出したくなかったんでしょう。
カラムの抱えている心の闇の深さ、そしてソフィの前では良い父親でいようとする覚悟、それらが2人の主観による記憶、ビデオカメラという客観的な映像、その交互により伝わってきます。
ネタバレ③:カラムは同性愛者なのか
ソフィの記憶では、”父カラムは優しく、愛情を持って接してくれる理想の父親そのもの”として描かれています。
もちろんカラムは優しい理想的な父親であることに間違いはありませんが、そんなカラムが何故離婚をして、妻や娘ソフィーと別居をしているのでしょうか。
これは、”カラムが同性愛者だから”ということが考えられます。
本作では直接的にカラムが同性愛者だとは描かれておりませんが、カラムが抱える心の闇、そして成長したソフィが同性愛者であることから、カラムが同性愛者である可能性は高いと考えられます。
ネタバレ④:ビデオカメラの意味
本作は、”カラムとソフィの主観的な記憶、そしてビデオカメラという客観的な事実”で構成されています。
2人の主観的な記憶としては、20年前の記憶なので必ずしも全てを覚えているわけではなく、不都合な部分(カラムの抱えていた心の闇など)はソフィの記憶には残っておらず、カラム自身の主観的な記憶にしか残っていないのです。
しかしビデオカメラの映像は違います。
ビデオカメラの映像は、”ありのままの真実を映し出している”のです。
2人の主観的な記憶、言い換えてしまえば美化された記憶ではなく、ありのままの真実を映し出しており、その真実こそが成長したソフィにとって必要なものなのです。
ソフィは成長し、父カラムと同じ年齢になりました。
ソフィの暮らしぶりを見る限り、かなり生活に苦労していることがわかります。
そのとき、きっとソフィは「大人としての苦労」、「親としての苦労」、そして「同性愛者であることの苦労」を実感していたはずです。
だからこそソフィの主観的な記憶だけではなく、ビデオカメラという客観的な視点、つまり「ありのままの真実」を見ることにより、父カラムの想いを知り、自らの人生を歩むうえでのヒントにしたかったのだと考えられます。
ネタバレ⑤:なぜカラムは歌わなかったのか
カラムが歌わなかった理由は、”人前で恥をかきたくなかったから”だと考えられます。
カラムは、うつ病を患っていた可能性が高く、物事に対してマイナス思考で行動してしまっていました。
またソフィのセリフからも金銭的な余裕がないこともわかりますので、自分自身に自信が持てていなかったということがわかります。
また同時に、カラオケも得意ではない=音痴だということも推測できます。
そのため、ソフィと一緒に人前で歌う=カラムの自尊心を傷つける、ということになりますので、カラムはソフィの誘いを断り、歌わなかったのだと考えられます。
しかしその結果として、ソフィの機嫌を損ねてしまい、カラムは罪悪感から夜の海へと入水自殺を図ってしまうのです。
しかしこの出来事が感動的なラストシーンに繋がっているのです。
なおソフィが歌っていた曲は、『Losing My Religion』という曲であり、「誰かに恋焦がれる想いを歌った曲」という歌詞の意味があります。
ネタバレ⑥:ラストシーンの意味
ラストシーンには、”クイーンとデヴィッド・ボウイの共作である「Under Pressure』という曲に合わせて、ソフィとカラムがダンスをする”というシーンがあります。
曲の中に「Love」と「Last Dance」という歌詞が登場するのですが、この歌詞が非常に考えさせられる内容なのです。
というのも、”「love」の歌詞が流れた瞬間、ソフィとカラムが抱擁を交わす”んですよね。
心に闇を抱えながらも理想の父親であろうとしたカラム、思春期の悩みを抱えながらも父カラムと一緒に楽しい時間を過ごしたかったソフィ、そんな2人の想いが通じ合った感動的なシーンです。
しかし個人的には、「Last Dance」の歌詞のほうが泣けました。
というのも、”カラムとソフィが過ごした夏は、もう二度とやってこない”ということがわかっているからなんですよね。
①父親と2人きりの旅行は、もう二度とやってこない
②カラムが死んでしまい、もう二度と会えない
まず「①父親と2人きりの旅行は、もう二度とやってこない」ですが、ソフィは11歳であり、これから少女から大人の女性へと成長してしていきます。
そうなると必然的に父親と2人きりの旅行はなくなってしまいます。
きっと友人や恋人と旅行に出かけるようになってしまうからです。
だからこその『Last Dance」であり、カラムもそれを認識していたんだと考えられます。
「娘と旅行に来ることは二度とない」、「こうやってふざけて踊り合うことは二度とない」、きっとそんな複雑な想いを抱えていたはずです。
続いて「②カラムが死んでしまい、もう二度と会えない」ですが、カラムは亡くなっている可能性が高く、おそらくこの旅行を最期にしてカラムとソフィは二度と会うことはなかったのだと考えられます。
カラムが心の闇を抱えていたということもあり、カラムは自殺してしまった可能性が高いのです。
ソフィの頭の中を描いたストロボシーンがありましたが、カラムはソフィと抱擁を交わした後、ソフィを突き放しているんですよね。
これは、”お前(ソフィ)は、俺(カラム)と同じようになるな!まだ死んではいけない!”というカラムの想いが表れているのだと考えられます。
というのも、成長したソフィは同性愛者であると同時に子供を育てている、という中々複雑な人生を歩んでいるのです。
そこには、カラムと楽しい休暇を過ごした思春期のソフィはおらず、現実に打ちのめされたソフィがいました。
カラムが抱えていた心の闇が遺伝しているのかどうかはわかりませんが、ビデオカメラを見つめるソフィの顔はどこか虚げです。
そんなソフィの気持ちを察するかのように、ソフィの頭の中に出てきたカラムはソフィを突き飛ばした、ということが考えられるのです。
映画『アフターサン』の感想
非常に難解な映画でした。
カラムとソフィが過ごした一夏の休暇が、2人の主観的な記憶とビデオカメラの客観的な映像で映し出され、観客はどこか懐かしい思い出に浸ることが出来ます。
しかしその代わり、明確なストーリー展開や答えを提示してくれないため、「えっ?一体何だったの?」ということにもなりかねません。
カラムとソフィの抱えてる悩みを具体的に表現することはなく、どこか理解を観客に委ねるという展開が見えてきました。
そこが本作の魅力であると同時に、不満点でもあるんですよね。
観賞後にスッキリした気分になりたい人には、向かないと思います。
あくまで本作は、カラムとソフィの夏休みを覗き見する、という感覚だからです。
2人の言動に何か特別な意味はなく、ただ単に楽しく夏休みを過ごしているだけ・・・そう考えるとより楽しさが増してくるんではないでしょうか。
まとめ
とても不思議な気持ちになる映画です。
何か特別なテーマが観客に与えられているわけではなく、カラムとソフィの夏休みを覗き見する、といった感じです。
当時父カラムが考えていたことが、記憶という主観的な映像、そしてビデオカメラという客観的な映像で映し出されています。
中盤までは、単純で平和な映像が続きますが、終盤にカラムとソフィが音楽に合わせて踊り出すシーンは、本作の趣旨を上手く表しており思わず涙してしまいました。
何か大切なことを思いだしたくなったとき、ふと観たくなる映画ですね。
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最後まで読んでくれてありがとうございました。