こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『ボーンズ アンド オール』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『ボーンズ アンド オール』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『ボーンズ アンド オール』が好きになると思いますよ♪
映画『ボーンズ アンド オール』のあらすじ
あの傑作『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督と、ティモシー・シャラメの再タッグが実現。
不気味で恐ろしいと同時に、優しく切ない、この世でたったひとつの物語を誕生させた。
生まれながらに人を喰べる衝動を抑えられない18歳の少女マレン。
彼女はその謎を解くために顔も知らない母親を探す旅に出て、同じ宿命を背負う青年リーと出会う。
初めて自らの存在を無条件で受け入れてくれる相手を見つけ、次第に求めあう二人。
だが、彼らの絆は、あまりにも危険だった。
・人喰い=イーターである男女2人の恋愛と逃亡劇
・人喰い=イーターであるが故の苦悩と選択を描く
・カニバリズム描写がかなりエゲツないので苦手な人は注意!
・ラストシーンでのタイトル回収は見事!
「君の名前で僕を呼んで」(18)のルカ・グァダニーノ監督とティモシー・シャラメが再タッグを組み、人喰いの若者たちの愛と葛藤を描いたホラーです。
人を食べてしまう=カニバリズムを描きつつも、少女マレンと青年リーの純愛も描いています。
主人公マレンを「WAVES ウェイブス」(19)のテイラー・ラッセル、彼女と恋に落ちる青年リーをシャラメ、謎の男サリーを「ダンケルク」(17)のマーク・ライランスがそれぞれ演じております。
2022年・第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、グァダニーノ監督が銀獅子賞(最優秀監督賞)、ラッセルがマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞したことで話題になりました。
当ブログでは、『ボーンズ アンド オール』の気になる謎を徹底考察・解説していますので、観賞後のヒントになれば嬉しいです。
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【ネタバレあり】映画『ボーンズ アンド オール』のネタバレ一覧
ネタバレ①:容赦ないカニバリズム描写
本作では、情け容赦が一切ないカニバリズム描写が盛り沢山なため、苦手な人は吐き気を催してしまうかもしれません。
ちなみにカニバリズムとは、”人間が人肉を食べる行動、あるいは習慣”という意味です。
そのためカニバリズムと言葉が表すように、本作では人喰い=イーターであるリーやマレン、そしてサリーが容赦なく人を喰らっており、大体のシーンで顔や身体が血まみれ状態となっているほどです。
冒頭シーンからフルスロットルでカニバリズムを描いており、マレンが友人の指を食いちぎろうとするシーンは、かなり衝撃的だったのではないでしょうか。
その他にも、マレンとサリーが食べる老女、リーとマレンが食べる青年、そしてラストシーンなどカニバリズム描写が散りばめられています。
ネタバレ②:人喰い=イーターについて
リーやマレン、そしてサリーらは”人喰い=イーターと呼ばれる存在”です。
その他にも本作にはジャックとブラッドという人喰い=イーターも登場していました。
そんな人喰い=イーターの特徴をまとめてみました。
・人数はそこまで多くはない
・人喰いは遺伝する
・定期的に人を食べないと、自分を抑えられなくなる
・ニオイで同族を探すことが出来る
・人生観や人喰いのやり方はそれぞれ異なる
・骨ごと食べると、新しい経験を得ることが出来る
・人を食べる、自殺、監禁しか選択肢がない
特に年季の入った人喰い=イーターになると、サリーのように遠くからニオイで同族であるマレンを探し当てたり、ジャックのように人を骨ごと食べることが出来るようです。
また人生観も異なっており、例えばサリーは「同族は食べない」、「人を殺して食べない」などの考えを持っているのに対し、ジャックは「人を殺してでも食べる」、「人を骨まで食べる」などの考えを持っております。
肝心のリーとマレンについては、まだ若い人喰い=イーターということもあり、自らの人生観に悩んでいる、といったところです。
そして人喰い=イーターは、遺伝することが判明しています。
それが、”マレンの母親とリーの父親”ですね。
マレンの母親もリーの父親も人喰い=イーターであり、その遺伝子がマレンとリーに受け継がれています。
そう考えると人喰い=イーターは、”昔から地球上に少数単位で存在しており、代々人喰いの遺伝子が受け継がれてきた”ということが考えられます。
おそらく人喰い=イーターは、突然変異で生まれた人類の新しい進歩のかたち、もしくは新人類といったところなんでしょうね。
ネタバレ③:マレンとリーの過去
同じ人喰い=イーターであるマレンとリーには、それぞれ悲しい過去があります。
【マレンの過去】
・赤ん坊の頃、ベビーシッターを喰い殺した
・3歳の頃、家族を喰い殺す危険性を感じた母親が家出した
・8歳の頃、キャンプ場で男の子を喰い殺した
【リーの過去】
・暴力的な父親から妹を守るため、父親を喰い殺した
特にマレンのほうが、”自らの欲望を叶えるために人を殺している”んですよね。
しかしマレン本人にその自覚はなく、父親が厳しく育てることで記憶が薄まっていたようです。
とはいえ、そんなマレンの父親も度重なるマレンの奇行に耐えきれず、家出をしてしまいます。
そして父親が残した出生証明書と音声テープを頼りに、マレンが母親を探しに行くというのが本作の主なストーリーです。
そんなマレンの母親ですが、人喰い=イーターであるが故に愛する家族である夫やマレンを傷つけないよう、自らマレンの元を去りました。
そして自らの意志で精神病院に監禁され、人を傷つけることがないよう自らの両腕を食べてしまったのです。
ネタバレ④:サリーの目的
サリーの目的は、”同族であるマレンと一緒に人生を過ごすこと”です。
言い換えれば、自分を理解してくれる人と一緒にいたかったということです。
サリーはベテランの人喰い=イーターであり、過去に祖父を喰い殺した経験があります。
そのときからずっと1人で人生を過ごしてきており、寂しさを感じていたんですよね。
そんなとき、娘の年頃とも言えるマレンを見つけ、「マレンと一緒に人生を過ごしたい」と考えるようになったのです。
というのも、サリーは「同族は決して食べない」というルールを課しており、このルールは裏を返すと”同族ではない娘は、容赦なく喰い殺す”ということです。
つまりサリーが人生を一緒に過ごす娘は、同族である人喰い=イーターしかいないのですが、そもそも人喰い=イーターは少人数しか存在しておらず、ましてやマレンのように若くて純粋無垢な人喰い=イーターは貴重な存在なのです。
だからこそサリーは、あそこまでマレンに固執したということです。
終盤のシーンでサリーがマレンを襲撃した際、「血が乾くとき、一緒にいたい」と言っていました。
これは、”一緒に人喰いをして、その血が乾くときも一緒にいたい”という意味です。
このセリフは、序盤のシーンでサリーとマレンが一緒に老女を食べた際、サリーが「血が乾くと家具に血がくっつく」というセリフが重要になってきます。
血が乾く=「一緒に人を食べて、そして側にいる」、ということですね。
サリーは自らが課したルールである「同族は決して食べない」に縛られ過ぎてしまい、普通の人間と人生を一緒に過ごすことが出来なくなってしまっています。
そのため家族を持つことは出来ず、家族愛に飢えており、家族を求めてマレンを追いかけてきたのです。
しかし結果として、マレンからは拒絶され、リーとマレンによって殺されてしまい、サリーの目的であった「同族であるマレンと一緒に人生を過ごすこと」は叶わぬ願いとなってしまいます。
ネタバレ⑤:ラストシーンの意味
ラストシーンは、サリーによって重傷を負わされたリーをマレンが食べる、というシーンで幕を閉じます。
ここでタイトルである『ボーンズ アンド オール(骨ごと食べる)』のタイトル回収がされますよね。
マレンにとってリーを食べることは、”愛する人を自分の身体の一部にする”という意味があります。
サリーによって重傷を負わされ、愛する妹ケイラを殺されてしまったリーは、自分の命が助からないことを悟っていました。
またこのままでは、リーとサリーの身体が部屋に残ってしまい、マレンが警察に捕まってしまう可能性があります。
そのためリーにとってマレンに食べられることは、”愛する人の一部となり、愛する人を守る”という意味になるのです。
今まで人喰い=イーターの行動は、全て自らの欲望を叶えるためでしたが、ラストシーンで「愛する人を救うための行動」に変化しています。
この「愛する人を救うための行動」こそ、本作のテーマであると考えています。
映画『ボーンズ アンド オール』の感想
カニバリズムを描きながらも、2人の男女の恋愛を描いたホラー&ラブロマンス映画に仕上がっています。
人喰い=イーターであるマレンとリーを中心に描いていますが、その他にもサリーやジャック、そしてブラッドという人喰い=イーターが登場します。
ここで面白いのが、人喰い=イーターはそれぞれの人生観やルールを持って人喰いを行なっている、ということです。
例えばサリーは「同族は決して食べない」というルールを持っていますし、ジャックやブラッドは「骨ごと食べる」という考えを持っています。
特に警察官であるブラッドに関しては、人喰い=イーターではなく、ジャックと行動を共にするサイコパス野郎です。
そのためジャックもサイコパス野郎である可能性が高く、身の危険を感じたマレンとリーは早々に立ち去りました。
このように人喰い=イーターは一枚岩ではなく、普通の人間のように人生観やルールが異なることがわかります。
これは、”人喰い=イーターも普通の人間も、特に何も変わりはない”ということを意味しています。
もちろん「人を食べる」といった行為は普通ではありませんが、それ以外の要素は何ら普通の人間と変わりはなく、むしろ「人を食べる」という行為が人喰い=イーターを生きづらくさせている要因でもあります。
そんな人喰い=イーターであるマレンとリーは、互いを求めながらも生きづらい人生を歩んでいかなくてはなりません。
一度は普通の人間としての人生を歩み始めたマレンとリーですが、サリーの登場により日常は崩壊してしまいます。
しかし人喰い=イーターである特性を活かし、”愛する人を食べて、自らの一部とする”という愛の一種を表現することが出来たのです。
マレンのその後の人生がどうなったのかは描かれていませんが、きっとリーの分まで精一杯人生を生き抜いたのだと信じています。
まとめ
「君の名前で僕を呼んで」(18)のルカ・グァダニーノ監督とティモシー・シャラメが再タッグを組んだということもあり、清々しい青春劇を想像していたら、強烈なストレートパンチをもらったかのような衝撃を受ける映画です。
カニバリズムを描いているため、かなり残酷な描写がありますので注意が必要な映画です。
【ネタバレ】『RAW 少女のめざめ』感想と考察【カニバリズムに目覚めた理由とは?】
人喰い=イーターとしての苦悩、そして未来を描いており、切なさの残るラストシーンも含めてとても考えさせられる映画でした。
今後のルカ・グァダニーノ監督の最新作にも期待が高まりますね。
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最後まで読んでくれてありがとうございました。