こんにちは、ニャンコです。
このブログは映画『LAMB ラム』のこんな疑問に答えていきます。
・見所ポイント
・ネタバレ一覧
・感想と考察
①芸術学部映画学科卒(卒論学年2位)
②映画歴20年以上
③累計2,000本以上観賞している変態
④実はホラー映画苦手(特に和風ホラー、リングとか無理!)
⑤Twitterで毎日おすすめ映画ツイート
映画『LAMB ラム』の見所を、映画好きの変態猫であるニャンコがネタバレありで感想と考察を書いています。
まさか、ラストがあんな展開になるなんて・・・
きっとブログを読み終わったとき、もっと映画『LAMB ラム』が好きになると思いますよ♪
映画『LAMB ラム』のあらすじ
山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリア。
ある日、二人が羊の出産に立ち会うと、
羊ではない何かが産まれてくる。
子供を亡くしていた二人は、
“アダ”と名付けその存在を育てることにする。
奇跡がもたらした“アダ”との家族生活は
大きな幸せをもたらすのだが、
やがて彼らを破滅へと導いていく—。
・可愛らしいアダを取り巻く希望と絶望
・狂気の家族ごっこ
・キリスト教がテーマ
・絶望しか残らないラストシーン
アイスランドの田舎で暮らす羊飼いの夫婦が、羊から産まれた羊ではない何かを育て、やがて破滅へと導かれていく様を描いているホラー映画です。
「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」などの特殊効果を担当したバルディミール・ヨハンソンの長編監督デビュー作でもあります。
また本作の配給権は、『ミッドサマー 』、『ヘレディタリー/継承』、『X エックス』で話題の「A24」が獲得しており、カンヌ国際映画祭でも観客を騒然とさせた話題作です。
当ブログでは、『LAMB ラム』の気になる謎を徹底考察・解説していますので、観賞後のヒントになれば嬉しいです。
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【ネタバレあり】映画『LAMB ラム』のネタバレ一覧
ネタバレ①:本作のテーマ
本作のテーマは、”キリスト教における慈愛”です。
というのも、いくつかの要素がキリスト教に関係しているんですよね。
①冒頭シーンがクリスマスイブ
→キリストの誕生
②娘アダ死亡、羊人間アダとして復活
→キリストの復活
③羊人間
→キリスト教の対となる悪魔
まず「①冒頭シーンがクリスマスイブ=キリストの誕生」ですが、これは非常にわかりやすいです。
わざわざ冒頭シーンをクリスマスイブに当てはめる理由としては、観客にキリストの誕生をイメージづけるものだと考えられます。
続いて「②娘アダ死亡、羊人間アダとして復活=キリストの復活」ですが、これもわかりやすいですよね。
キリストは処刑された3日後に復活したと言われています。
本作に登場する人間である娘アダ、羊人間であるアダは同一の人物ではありません。
しかしマリアとイングヴァルの2人にとっては、”アダが復活して、一緒に人生を歩んでくれる”という意味合いになるのです。
最後に「③羊人間=キリスト教の対となる悪魔」ですが、これは羊(厳密には山羊)がキリスト教において悪魔の象徴してイメージされているんですよね。
というのも羊には、”キリスト教の発展と共に駆逐された異教神のイメージがある”からです。
また古代ローマでは、羊は欲望と性的快楽の象徴としてみなされていました。
本作に登場する羊人間もまるで悪魔のような風貌をしています。
以上のことから本作は、キリスト教に深く関係していることがわかります。
そしてここからが本題です。
キリスト教には、多くの教えがありますが共通していることは”慈愛”だと考えられます。
慈愛とは相手を憎むのではなく、相手を受け入れることですが、本作はまさに慈愛に満ちたストーリーです。
本来であれば、異質な存在であるアダを受け入れるってなかなかないと思うんですよね。
しかしマリアとイングヴァルは、アダを実の娘のように受け入れます。
もちろんそこには、悲しみを埋めるという意味もあるのですが、何より慈愛の心があります。
しかし世の中は、慈愛だけでどうにかなるものではありません。
必ず邪魔をしてくる存在がいます。
その存在が本作に登場する羊人間ですね。
羊人間は、キリスト教における悪魔、もしくは裏切り者のユダのような存在かと考えられます。
つまり本作は、”キリスト教における慈愛を持った人間が、邪悪な存在によって絶望の淵へと叩き落とされるストーリー”ということです。
ネタバレ②:冒頭シーンの意味
出典:IMDb
本作は、不気味かつ意味不明な冒頭シーンから始まります。
というのも、クリスマスイブの夜に得体の知れない存在が吹雪を中を進んでいるんですよね。
姿形は描かれず、何者かの不気味な息遣いだけが聞こえています。
そんな何者かの姿を見かけた馬たちは、思わず来た道を後ずさりしてしまうほどです。
そして得体の知れない存在は、羊がいる納屋に辿り着きます。
もちろん羊たちが恐怖のあまりその場から逃げ出そうとしますが、柵があるので逃げることは出来ません。
そして羊の1匹がヨタヨタと柵から出てきて、力尽きたかのように地面に倒れ込むのです。
そして残された羊たちは、得体の知れない存在がいる開いたドアを見続けている・・・という冒頭シーンです。
この冒頭シーン、実は”得体の知れない存在=羊人間の主観”で描いているんですよね。
羊人間が吹雪の中をさまよい歩き、雌の羊がいる納屋に辿り着き、そして無理矢理交尾をしているシーンなんです。
ネタバレ③:殺される親羊
本作のヒロインであるアダには、母親に該当する存在が2つあります。
①育ての親である人間のマリア
②産みの親である親羊
本来であれば、アダは「②産みの親である親羊」に育てられるべきです。
しかしアダが羊人間であったことから、人間であるマリアが自分の子供して育てようと決意し、親羊からアダを奪い去ってしまうんですよね。
そのため親羊は、子供であるアダを取り返そうとしているのです。
しかしマリアが許さず、親羊は銃殺されてしまいます。
後ほど詳しく説明しますが、マリアは実の娘を亡くしています。
その悲しみを埋めるために羊人間であるアダを自分の子供として育てようとしているのです。
つまり”自分の身勝手さのために、親羊から子供を取り上げた”ということです。
これは、無意識の内に”人間は動物より偉い”という意志の現れです。
家畜である羊の運命は人間が決める、ということでもあります。
そんな傲慢な考えが親羊を射殺する結果になるのですが、最終的には天罰が下り、マリアは絶望のどん底に落とされることになります。
ネタバレ④:マリアが見る悪夢
親羊がアダを連れ去った夜、マリアは悪夢に苦しめられます。
その悪夢とは、”羊の群れが光る目でマリアを見つめている”というものです。
というのも、マリアは”親羊から子供を取り上げてしまった”という罪悪感に悩んでいるんですよね。
そのため、”羊たちが報復として子供を取り返しに来るかもしれない”と考えています。
だからこそマリアは、親羊を銃で殺してしまったわけです。
しかしその行為は、後に思わぬかたちで返ってくることになります。
ネタバレ⑤:マリアとペートゥルの関係
出典:IMDb
本作は、マリアの夫イングヴァルの弟ペートゥルが訪ねてきた時がターニングポイントを迎えます。
というのも、”マリアとペートゥルは、過去に不倫をしていた”んですよね。
具体的な時期まではわかりませんが、マリアの実の娘であるアダが亡くなった後だと考えています。
マリアは娘アダを亡くしてしまった悲しみを埋めるため、夫イングヴァルではなくペートゥルに癒しを求めたのかもしれません。
ペートゥルは、羊人間のアダを殺そうとしたり、金銭的トラブルを抱えていたりとロクな人間ではありません。
また、マリアが親羊を殺した場面に遭遇しており、「イングヴァルとアダは、親羊を殺したことを知っているのか?」とマリアを脅し、再び身体の関係を持とうとするゲス野郎です。
そんなゲス野郎であるペートゥルと関係を持ってしまったマリアも同類ということも考えられますが、実の娘アダを失ってしまった悲しみがいかに深いか、とも考えられます。
ネタバレ⑥:ペートゥルは何故アダを殺そうとしたのか
ペートゥルがアダを殺そうとした理由は、”偽りの幸せを見ていられなかったから”です。
ペートゥルは、兄夫婦が娘アダを亡くし、悲しみのどん底にいたことを知っています。
そして同時に悲しみを乗り越え、たくましく生きていることも知っています。
そんな時に突然現れたのが、羊人間であるアダです。
兄夫婦は、アダを実の娘のように育てていますが、羊であることには変わりはなく、ペートゥルの目からすれば「羊と家族ごっこのママゴトをしている」、「偽りの幸せを演じている」、と感じてしまいます。
「このままでは兄夫婦のために良くないことが起きる」、そう考えたペートゥルは2人に内緒でアダを殺そうとするのです。
アダが可愛いから殺されなかった、これってふざけているようでちゃんとした理由なんです。
というのも、私たち人間も含めて動物の赤ん坊って無邪気で可愛いですよね。
そして可愛いのにはちゃんと理由があって、”親に育ててもらうため”なんです。
つまり”赤ん坊の可愛らしさは、生きていくためには必須”ということです。
これはアダも同様です。
アダの外見は、羊と人間が混ざり合っている異質な外見です。
しかし赤ん坊特有の可愛らしさを持ち合わせています。
確かにペートゥルは、アダを殺そうとしていました。
しかし赤ん坊特有の可愛らしさを持つアダを殺すことは出来ず、”殺すのではなく、育てていく”という選択をとったわけです。
ネタバレ⑦:アダの正体と名前の由来
アダの正体は、”羊人間と羊の間に産まれたハーフ”です。
全ては冒頭シーンから始まっています。
冒頭シーンで羊人間は、納屋にいる羊と交尾をしています。
その時、羊が腹の中に身ごもったのがアダです。
そのためアダは、”羊と人間が混ざり合っている異質な外見”をしているのです。
そんなアダの名前は、”マリアとイングヴァルの亡くなった娘アダ”が由来となっています。
娘アダが亡くなった明確な理由は描かれていませんが、おそらく”川で溺れ死んでしまった”と考えられます。
というのも、アダが行方不明になったとき、イングヴァルは真っ先に「川を探してくる」と言っているんですよね。
またイングヴァルは、「娘アダを探して湿地帯・沼地を走り回っている」という夢を見ています。
以上のことから推測すると、”娘アダは川に転落し、溺れ死んでしまった”と考えられるのです。
娘アダが亡くなった悲しみは、想像を絶するものです。
そんな時、2人の目の前に現れたのがアダです。
きっと2人は、「神様が私たちに再び娘を生きていくチャンスを与えてくれた」と思ったはずです。
だからこそマリアとイングヴァルは、アダを娘のように育てているわけですね。
またアダという名前を聞いて、なにか連想しないでしょうか?
というのも、”旧約聖書に描かれている最初の人間アダムと名前が似ている”んですよね。
アダとアダム、キリスト教と旧約聖書、何かしらの関係性がありそうです。
ネタバレ⑧:犬はなぜ殺されたのか
出典:IMDb
本作は、犬好きにとってとても辛いシーンが登場します。
というのも犬が何者かに無残にも殺されてしまうんですよね。
犬を殺した何者かの正体は、”アダを取り返しに来た羊人間”です。
実は犬が殺される直前、アダの瞳がアップに映り込むのですが、その瞳の中に羊人間が映り込んでいるんですよね。
犬が殺された場面を目撃したアダは、イングヴァルに訴えようとしますが、言葉を話すことが出来ないので側で震えることしか出来ません。
しかしなぜ犬は羊人間に殺されたのでしょうか?
理由は、2つあると考えています。
①アダを取り返すのに邪魔な存在だったから
②羊を追い回す牧羊犬に復讐したかったから
まず「①アダを取り返すのに邪魔な存在だったから」ですが、これは単純ですよね。
アダを取り返す際、追いかけたり妨害しようとしてくる犬は邪魔な存在でしかありません。
だからこそ、真っ先に殺してしまおうと考えたのでしょう。
続いて「②羊を追い回す牧羊犬に復讐したかったから」ですが、この線もあると考えています。
牧羊犬は、日々羊を追いかけています。
つまり”犬のほうが羊より上の存在である”ということです。
普通の羊であれば、犬に復讐しようとは思いませんが、今回の相手は羊人間です。
そのため、「同族を虐げてきた犬に復讐する」という想いもあったのだと考えています。
ネタバレ⑨:羊人間の正体と目的
出典:IMDb
冒頭シーンから登場しながらも姿を現すことがなかった羊人間ですが、ラストシーンで遂に姿を現します。
頭は羊ですが、身体は筋肉隆々な人間の姿です。
そんな羊人間の正体は、”悪魔”だと考えられます。
というのも、本作はキリスト教との繋がりが強いんですよね。
また羊(厳密には山羊)は、悪魔の象徴としてのイメージが強い動物です。
そんな羊人間の目的は、”実の子供であるアダを取り戻すこと”です。
まあ、これも自分勝手な目的ですよね。
冒頭シーンで勝手に納屋に忍び込み、羊と交尾をしてアダを孕ませ出産させる、そして人間であるマリアとイングヴァルにアダを育てさせ、頃合いになったら銃を持って取り戻しにくる・・・なんて勝手な羊人間なんでしょうか。
もしかして羊人間は、アダが産まれた後に迎えに来るつもりだったのかもしれません。
しかし人間がアダを取り上げてしまったため、その予定が狂ってしまったという可能性もあります。
いずれにせよ、マリアとイングヴァル、そしてアダの偽りな家族生活は突然幕を閉じることになります。
ネタバレ⑩:ラストシーンが意味するもの
出典:IMDb
本作のラストシーンは、絶望の余韻しか残りません。
というのも、”羊人間によってイングヴァルは殺され、アダも連れ去られてしまう”んですよね。
そして残されたのは、マリアただ一人という絶望・・・救いが一切ありません!
しかし本作のテーマは、「キリスト教における慈愛」ですので復讐なんて出来ません。
だからこそマリアは現実を受け止め、羊人間の行為を許すしかないのです。
ただ一人取り残されたマリアに残された道は、不倫相手であるペートゥルが再び戻ってくることだけです。
もしかしたらペートゥルと共に人生を歩むのかもしれませんが、その選択は茨の道だと考えられます。
映画『LAMB ラム』の感想
とても不思議な世界観の映画でした。
羊人間であるアダの存在だけでも不思議なのに、明るい白夜の中で繰り広げられる日常シーンが淡々と描かれているんですよね。
セリフが多いわけでもなく、暗い音楽と共にただ淡々とストーリーが進んでいきます。
また登場人物も少なく閉鎖的な空間であるため、観客は必然的に誰かしらに感情移入せざるを得ません。
あっと驚くようなジャンプスケアもないので、人によっては飽きてしまうかもしれませんね。
しかしマリアが親羊を銃殺したあたりから、少しずつストーリーが進み始めます。
というのも画面の所々に不穏な羊人間の存在が現れ始めるんですよね。
それを如実に表しているのが、”動物たちの視線”です。
本作には、犬・猫・羊・アダといった様々な動物たちが登場します。
そして動物たちは、時折よくわからない視線を送っているんですよね。
その視線の先にアダを取り戻しにきた羊人間がいるのでしょう。
このあたりの描写がとても上手だなと感じました。
また本作の見所は、絶望の余韻しか残らないラストシーンです。
「えっ、ここで終わっちゃうの?」と思う人もいるかもしれませんが、ホラー映画ってそれで良いと思うんですよね。
似たような映画で『ダーク・アンド・ウィケッド』があるのですが、こちらの映画もホラー映画として最高のラストシーンで締めくくられています。
このラストシーンがあるからこそ、本作のテーマである「キリスト教における慈愛」が際立つのだと考えています。
まとめ
とても不思議な映画ですので、好みが分かれるかもしれません。
人によっては、「意味がわからない」と思ってしまうのも無理はないでしょう。
しかし本作のテーマである「キリスト教における慈愛」ということを前提としておけば、ラストシーンも少なからず納得するかと思います。
何度も言いますが、ホラー映画のラストシーンはこれで良いのです。
無理矢理ハッピーエンドにしてしまうほうが、映画自体の価値を落としてしまいます。
万人受けはしないかもしれませんが、個人的にはとても素敵な映画だと素直に感じました。
本作以外にもA24が製作している『ミッドサマー 』、『ヘレディタリー/継承』、『X エックス』は、いずれもクセが強く面白い映画ばかりですので、もしご覧になっていない人がいれば是非とも鑑賞することをオススメします。
また本作の脚本を書いているショーンは、ロバート・エガース監督の『ノースマン 導かれし復讐者』の脚本もしています。
こちらも独特の世界観で楽しめる映画に仕上がっていますので、ぜひご覧ください。
【ネタバレ】『ノースマン 導かれし復讐者』考察【オルガの目的・北欧神話との関係性】
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最後まで読んでくれてありがとうございました。